厭な気分 2026.02.06

 

 

 ひとりの女が、ある冬の雪の日、教会へ出掛ける……というだけの話。こう、いわゆる”信頼できない語り手”というのを目指して書いた……

 短いです。果たしてこの女はほんとうに”人間”なのか!?(なんだその惹句は……)

 

 

 

  教会に入ると、厭な気持ちになる。
  教会の中は薄暗い。そして、埃っぽい空気が流れている。
  空気の循環は行われている。この教会には毎日、人の出入りがあるから。
  つまり、ここは町外れの、ごみみたいに打ち捨てられた教会ではないということだ。
  だから私はこの教会に通わなければいけない。
  私の家からその教会までは、歩いて二十分。
  毎週日曜日になると、私はその教会に通わなくてはいけない。
  雨の日もお天気の日も、風の吹く日も夏の暑い一日にも、冬の雪の降る日にも、私はその教会に通い続けなければならない。
  ちいさいころ、母が私にこう言っていた。
 「あんたもせめて人並みにならないと。人の十倍努力して、ようやく一人前になるんだよ」
  だから私は、今日も教会に通わなければならない。
  その日は先から降り続けた雪のせいで、視界が悪く、朝からじくじくと染み入るような寒さだった。
  夜中のうちにたっぷりと降り積もった雪のために、私は黒の長靴を履いて、厚いコートを身に着ける。
  朝、目覚めた時、部屋の中はとても静かで、なんのにおいもしなかった。
  けれど外に出ると、埃のにおいがする。そして、家の外は、家の中にいたときよりも、もっとずっと静かで、しんとしている。
  視界いっぱいに広がる雪だ。
  天を仰いで、雪空を見つめる。
  埃のかたまりのような大きな雪が、ボトボトと落ちてくる。大量の埃を掛けられているかのような気分。吐く息は白く、しかし白い視界のなかに濁って消えていく。だから自分の吐いている息が、白いのか、透明なのか、だんだんわからなくなってくる。
  降り積もった雪を踏みしめながら、一歩ずつ歩く。この調子で歩き続けたら、教会に行くだけで何時間掛かるか分からない。私は暗澹とした気持ちになる。だけど私は、教会に行かなければならない。
  まっしろな視界の中を一歩ずつ歩き続けながら、私はむかしのことをおもいだしている。
  ちいさな映画館だ。いまはもう、潰れてしまった。映画館のとなりにアイスクリーム屋があって、店員がひとりきりでいつもアイスを売っていた。だけど私はそのアイスクリーム屋でアイスを買うことはなかった。
  一度だけ、重いガラス戸を押して、その店内に入ったことがある。アイスを買うつもりでそのガラス戸を押したのか、ただ店の中に入りたかっただけだったのかは、もう覚えていない。
  ドアを押した瞬間、店の中にいる店員と目が合った。店員は私を認め、そして、声をかけようとした。つまり、「いらっしゃいませ」などと。
  私はその瞬間、罪を犯したことを隠蔽するかのように、急いでドアの取っ手を離し、その場から逃げた。
  母の隣の席に座って映画を見ているあいだも、私は罪悪感に怯えていた。私がいたずらにドアを開けたせいで、どんなことが起こったか。何も起こっていない。何も起こらなかった。不思議なことや、理不尽なことや、他人の迷惑になるようなことは何も。
  けれど、確実に”跡”は残った。私が扉を開けたこと。店員が私に視線をよこしたこと。そして、私を客と認め、それによって店員が、私に対してなんらかの正当な働きかけを試みようとしたこと。
  ちいさいころの私にとって、それらはすべて犯罪を犯したと同じことのようにおもえた。私はあの店員に、何も為さなかった。なんの利益も、なんの正当性ももたらさないくせに、ただ気まぐれを起こして、他人に干渉しようとした。そして、その気まぐれの干渉に、他人が呼応しようとした。
  これが犯罪じゃなければ、一体どんなものが、犯罪と呼び慣わされる資格があるというのか。
  そしてその次の日、私の母親は、私に向かって、こうのたまった。
 「教会へ行きましょう。そしてお祈りをするのよ」
  私は、私の犯罪が母親にばれたのだとおもった。そして、言われるがままに、近所の教会へ向かい、そこで、日曜の説教を聞いた。
  私は退屈した。黒い服を着た老人の言っている言葉の意味がひとつも分からなかったから。
  その日は薄曇りで、なんだか変に暖かい日だった。私は教会の硬いベンチに座りながら、ずっと気分が悪かった。
  私には教会へ行く理由はないが、行かない理由もなかった。
  母親は教会の帰りに、近くの花屋で、カーネーションの花をいちりん、私に買ってくれた。「毎週教会へ通ったら、そのたびにお花を買ってあげる」と、私の母親は言った。
  花なんかほしくなかった。花よりも、その120円分の駄菓子のほうが、どんなにかその頃の私には有り難かったかわからない。
  けれど私は教会へ通い続け、そして母親はそのたびに、私に花を買い与え続けた。
  その習慣が止んだのは、ごく最近の話だ。
 「あなたももういい大人なんだから、教会へはひとりで行くべきね」
  歩きながら、私はどんどん気分が悪くなっていく。
  私は一度立ち止まり、白いニット帽を掴むと、そのうえに積もった雪を振り払った。肩に積もった雪も手で払い、手のひらを見つめる。指先だけが赤く、てのひらは真っ白だ。手のひらを開いたり、閉じたりを繰り返し、それからまた歩き出す。
  母親が私に花を買い与えなくなったのは、いつも教会の帰りに寄っているその花屋が、花をいちりんだけ売るのを止めたからだった。
 「今月から、一本だけでお分けするのを止したんですよ」
  いつも私たちに花を売ってくれるその店主らしき男は、事務的な声でそう言った。
  そのときに私は、自分たちがやっていたことは、誰かに強く望まれていることではなかったというのを知った。母親はそれを聞いて、残念そうでもなかったし、落胆したわけでもなかったようだ。ただ、少し安心したような声で、「そうですか」と言っただけだった。 
  だから私は教会へ通わなければならない。
  教会の外装は白い壁で覆われている。その端っこは煤けていて、じわじわとどこかからやってきた蔦が絡みつきはじめている。
  教会の敷地内には申し訳程度の駐車場があって、そこにはいつも一台の、古い型のクラウンが停まっている。私はそれを見て厭な気分になる。
  その教会の神父に会いたくないから。
  母親が同行しなくなってから、私はいつも、神父の説教のある時間を避けて、教会へ通っていた。しかつめらしい、かびのはえたような説教なんて聞きたくなかったし、功徳なんてあるともおもわなかったから。
  教会の扉のまえで立ち止まる。吐いた息が白く濁る。雪はまだ降り続いている。
  私は扉を開ける。
  教会のなかの空気は濁っている。
  そう感じる。
  少なくとも私は。
  教会のなかには誰もいない。
  教会のなかの空気はとても冷えていて、それは外の空気とは少し違う。外の空気は開放されていて、誰にでも開かれているという印象がある。でもここは違う。教会の中の空気は、特別なこしらえものだ。この空間のなかの空気を吸うべき人間と、そうでない人間には、明確な差がある。
  私は後者だ。だから私はいつでもここで、居心地が悪い。
  教会の中は静かで、どんな音もしない。祭壇の左にあるマリア像のうえに、ステンドグラス越しに青い光が滲んでいる。
  私はどんどん気分が悪くなっていく。
  はやくこの場所から逃げ出さなくてはならない。
  私は目を瞑る。マリア像がめのまえに存在していることを感じながら。
  耳が痛くなるほどの静けさだ。外では雪が降っているかもしれないし、降っていないかもしれない。だけどどちらにせよ、私にはこの教会を出るという権利がある。この埃っぽい教会の中から逃げ出して、視界の悪い雪の中に飛び出していくという……権利が。
 「あ」
  濁った声だった。そして、なにかに注目し、注意が払われたために発せられた”音”だった。私は、はっとして顔を上げた。
  聖具室の扉が開いている。そこから、見覚えのある顔が覗いた。
  目が合った。私はその瞬間、駆け出した。
 「待って!」
  私は……
 私は、立ち止まってしまった。
  振り返る。そこにはひとりの男がいる。見知った顔の男が。私のことを知っている男が。だけど私はその男のことを何も知らない。男だって、私のことは何も知らない。知る必要がないから当然だ。なぜなら私たちは、ただの他人同士であり……
「いつも……」
  男の黒い靴が、赤い絨毯を踏みしめる。その踏みしめた近くには、私が外からやってきたせいで付着した、泥に混じった雪のちいさな塊が落ちている。
 「毎週、来てくれていますよね」
  と、その男は言った。
  私はその問いに答えられない。
  通っていない、と言ったら嘘になる。通っている、と言えば、私のせいで、男の口に出した言葉が”ほんとうのこと”になってしまう。つまり、共通認識がむすばれるから。私と……その男の中で。
 「すみません」と私は早口で言った。「勝手に入ってきてしまって」
 「え? いいんですよ」と、男は明るい声で言った。「教会ってそういうところでしょ」
  一歩、男が私に近づく。
  めまいがする。うまく立っていることが難しい。
  教会の空気はとても清浄だ。


おわり(2026.02.06) 

 

灰になった人魚姫

 

 あらすじ。

人魚の女の子、マシリの究極の目的は、自分のお姉さんたちのように、恋に破れただけで泡となって消えるというような馬鹿馬鹿しい目に遭わないようにすることでした。が、マシリのおばあさんは言います。人魚というのは人間に恋をするのが一番だ、そして人間になれば、天国というとてもよいところに行けるのだから、と。半信半疑のマシリはある夜、大きな船から落ちてきた男と恋に落ちます。ところがその男は、実は人間ではなく吸血鬼で……!?

 

 TL(てぃ~んずらぶ)とハーレクインの中間をめざそう! とおもって書いたら、書いている途中で落語の本とか読んでたので講談みたいになっちゃった。ジャンルにむりやりあてはめれば、多分童話です!(どこが……?)だけど全然ロマンチックじゃないしはっぴいえんどでもない。こう……いいところだと思って出かけた場所と、いい人だとおもって近づいて行った相手が、全然いいところじゃなくていい人でもなかったけど、どうすることもできなかった、みたいな話。

 おひまだったら読んでください。

 

 

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 恋に破れたら泡と消えなければいけない生き物なんて……と、マシリはおもっていた。
 人魚という存在は半分が魚で、半分が人間だ。
 へんなの、とマシリはちいさいころからおもっていた。
 だからマシリは、育ての親であるところの祖母に向かって、いつも文句を言っていた。
「近所のキンメがいうのよ。あんたたちは海の中のつまはじきものだって。敵か味方かちっとも分からない。僕たちがいくら親切にしても、いくら同情を寄せてみても、いつかうっかりしたときに、その長い五本の指でひっつかまれて、蒸し焼きにされたり、ムニエルにされるかもしれないという恐怖と僕たちがいつも戦っていることを、いい加減自覚した方がいいんじゃないかな、ですって」
「ハハハ」
 マシリの憤りを、祖母はパイプのけむりをもくもくさせて笑った。
「そうだね。わたしらは半分人間で、魚というのはその人間の食料の一つだからね」
「売り言葉に買い言葉だったのよ。あたしはキンメに、あんたの目玉はあんまりにも大きすぎると言ったの。むしゃくしゃしていたのよ。二番目のお姉さんがまたくだらないことで死んで、それでぼんやりと海の中を散歩していたら、あの近所のキンメが、ボケーっと海水の中をゆらゆらしているじゃない。あんまりにも暢気すぎるじゃないの? いい気なもんだわ魚なんて。ただ海水にゆらゆら揺られて仲間同士で番って卵産んでそれで終わりだもの。人魚なんて……くだらないわよ。まっとうな魚と比べれば」
「それは違うよ」
 祖母はパイプから口を話すと、のんびりとした口調で言った。
「わたしらには感じるこころというものがあるじゃないか。お前は一族のなかでは特に喉の“きかせ”が素晴らしいし、その歌声によって海の船頭たちが毎晩、どれだけの慰めを得ているか。それはたかが魚にはできないものだよ。魚が陸に上がって呼吸できるか? 魚が人間のこころを和ませる歌を歌えるか? あんなものは下等生物じゃないか」
「どうして人間なんてものを喜ばせないといけないのよ」
 マシリは憤ったまま、言った。「そんなものあたしはいらない。人間なんて好きじゃないし、人間なんてものを喜ばせても、チットモこころなんてものは動かない」
「それはおまえが人間というものを知らないから」
お姉さんたちを見てよ。みんな、人間とかいうものに興味を持って、それで、恋に破れて泡になって消えた。あたしはそんな馬鹿馬鹿しいことにはならない……」
「お前はまだ若いから」
 と、祖母は言った。
「若いから何なのよ」
「まだ知らないんだよ」
「何が」
「天国という場所がいかに素晴らしいところか」
「ああ」マシリは低い声で、「天国か」とうんざりする。
 マシリも、天国というところのことは知っている。そこでは常に気分の良くなるような歌が流れていて、人々は毎日踊ったり歌ったりおいしいごちそうを食べたりして、毎日愉快に暮らしているらしい。
お姉さんたちはそういううまい話につられて、それで死んだのよ」
「そうじゃないよ。どうもお前は二人の姉に先立たれて、だいぶすれっからしになったようだね」
 祖母はマシリに忠告するように、その節くれだった長い指を突き出した。
「天国はいいところだよ。畜生と、人間の中間であるわたしらが、逆立ちしても到達できない、それはそれは尊い場所」
「天国ってのは人間専門の施設なわけ?」
「そう」
「どうしてあたしたちは行けないの?」
「魚と人間の半分だから」祖母は注意深く言った。「畜生には畜生の、人間には人間専用の天国というところがある。ところがわたしら中間種は、そのどちらでもない。ということは、畜生専用の天国の門のまえでも、人間専用の門のまえでも、門前払いを食っちまうということさ」
「バカみたい」
 マシリは呆れて、言った。「バカみたいね、あたしたち。とんでもない生き物だわ。こんなどうしようもない生き物って、あたしたちの他にあるかしら」
「だからこそ恋をするんだよ」
 と、祖母は言った。
「あんたの姉さんふたりは正しかった。正しく人間に恋をして、そして正しく人間という“まともな”生き物に生まれ変わろうとした。その結果、その恋に破れて泡となって消えたとしても、お前のお姉さんたちは海の一部になって、こうしていまでも、お前のめのまえをちゃぷちゃぷと行き来して、わたしたちを見守っていてくれるんだよ」
「だから何?」マシリは歯噛みして言った。「だから、あたしも、“正しく”人間に恋をしろというの? それで、荒れ屋の魔女のところへいって、薬をもらって、激痛に耐えて、言葉をなくして、人間風情に恋をして、それで“結婚”してもらえというの?」
「そのほうがいいよ」
 と、マシリの祖母は言った。「天国はいいところだよ」
「知らないくせに」
「少なくとも、こんな海の中で、こんなおいぼれを相手にして文句を並べ立てているよりはマシだね」
 マシリは黙った。自分のなかの正当な“文句”が、醜いものだと断定されたような気がして、面白くなかった。
「それじゃあ、どうしておばあちゃんは人間に恋して、人間にならなかったんだよ」
 マシリは最後のすてぜりふとしてその言葉を口にしたに違いなかったが、祖母にとっては糠に釘、暖簾に腕押しでしかなかったようだ。
 マシリの祖母はこうのたまった。
「わたしの愛する人はたったひとりだけ。あんたのお祖父さん、それだけよ」
 理由になってないよ、とマシリはおもった。が、黙っていた。


****


 マシリはその晩も、海の上へ出て歌を歌いに行った。退屈と鬱憤を一気に晴らせるのは、歌を歌うよりほかにマシリには考えられなかったからだった。
 マシリはいつもの岩部に座って、海を眺めた。波は穏やかで、空は薄曇りだ。ときおり雲のきれまから、まんまるに太った満月が覗く。マシリはその満月をぼんやりと見上げた。
 一番上の姉が生前、マシリにこう言っていた。
「あの満月のむこうがわに、天国というところはあるの。そこには悲しいことも嬉しいことも何もなくて、私たちはものを考えるという必要がない。そこでは毎日が安定していて、毎日が穏やかなの。悲しみも苦しみも飢えも快楽も何もない……魂の救済ってそういうことよ。人間は良いわね。人間に生まれたら最後、そんな天国が約束されているんだもの。私もはやいとこ、人間に認めてもらいたい。そして、天国に行くの。私のことを好きになってくれた人間と一緒に」
 バーカ、とマシリはおもう。そして、誰もいない海で、歌を歌ってみる。すると、その歌につられたように、一艘の大きな船が、水面を揺らしてやってくる。
 マシリはこういう大きな船が好きだった。マシリが気持ちを込めて歌い始めると、海はその歌声に合わせて暴れ出す。波が高くなり、船が左右に揺れ、そのうちに嵐になる。そしてそのうちに、船はその嵐に負けて、転覆する。すると、ちいさな魚たちが親魚の腹の中から産まれるみたいに、船から幾人もの人間が飛び出して来る。マシリはそれを見るのが好きだった。そしてその日も、その魚の子を散らすように逃げまどう人間のことを、退屈しのぎに見学するつもりだった。
 しかし、その船は、いつも転覆させているような船とは違う、それよりも遥かに大きなものらしかった。マシリはその船がどれほどの大きさなのかに興味がわいて、海の中に入ると、その船の近くへ行ってみることにした。
 水面に顔を出し、船を見上げる。その船は、マシリが今までに見てきた中でも群を抜いて大きな船だった。見上げても見上げても、甲板の様子が見えない。マシリは少し船から距離をおいた場所で、再びその船を眺めた。そして、その人間を、発見した。
 その人間はただひとりだけ甲板の先に出ているようだった。男だ、とマシリには分かった。そしてその男と、目が合った。
「    」
 男が下を向いて、何かを言っている。だけど距離が遠すぎて、マシリの耳には何も聞こえない。
「え? 何?」
 マシリは叫んだ。男は口元に手を当てて、声を張り上げた。
「うううあああうううああ」
 マシリにはその意味が分からない。もしかしたら、人魚と人間では言語が違うのかもしれない。そんなことはおばあちゃんも言っていなかったし、お姉さんたちから聞いたこともない……だけど……
 その時だった。マシリのめのまえに、何かが落ちてきた。
 ぶつかる! とおもって、マシリは目を瞑った。バシャン、とちいさな水音がして、まぶたをあげると、マシリのめのまえに、男が浮かんでいた。
 甲板に居た男だ、とマシリはおもった。
 マシリはその男に急いで泳ぎ寄った。男は目を瞑っていて、男の着ている服は海水を含んでずっしりと重そうだ。
「あんた、どうしたの」
 マシリは声を張り上げた。けれど、男は瞑った目を閉じたままだ。
「死んじゃったの?」
 マシリは尋ねた。反応はない。マシリは不安になって、その男の真っ白な頬を撫でた。
 雲が切れて、再び満月が海に顔を覗かせた。そのせいで、マシリはその月光の下で、その男の顔をまじまじと眺める結果になった。
 長いまつげに、高い鼻。唇の色は血色が薄く、その頬はゴムのようにつるつるしている。この顔の下半身に魚のしっぽがついていれば、これでも立派な人魚だ……だけど、何かが違う。やっぱり、人間と人魚では、何かが違う……
 男が、ゆっくりとまぶたを上げた。
「いいんだ」男の目が、柔らかく緩んだ。「放っておいて」
 マシリはその男の冷たい手を握りしめた。で、一目散に、その襤褸衣のような男の服を引っ張って、岸辺まで連れて行った。
 昔、マシリの二番目の姉が、生前に言っていた。
「ねんねのあんたにはまだ分からないかもしれないけど、自分のことを、あんまり半端ものだ、とおもい込まない方が良いわよ。私たちは半分は魚だけど、だけど確実に、もう半分は人間で、それにこうやって考えている私たちの頭の中には、確実に魚の脳みそじゃない。人間の脳みそが入っているの。だから分かるの。運命の人間に出会えれば、一瞬で、それが分かるのよ。それは私たちが決めることじゃない。かみさまが元々お決めになっているものなの。そういうものなのよ」
 マシリは興奮していた。こんな興奮は、今までの日々の中で、一度も味わったことのないものだ。そしてマシリは重たい襤褸衣を引っ張りながら、そうか……と納得していた。
 お姉さんたちは“これ”のとりこになったんだ。なるほど確かに、こんな興奮は、ただ海の中にぷかぷか漂って、家の中で祖母を相手に茶飲み話をしているだけでは、絶対に獲得できないものだ。それに……
 あたしは今確実に、この男の人を助けたいとおもっている。その命を繋ぐ一助になりたいとおもっている。それは、悪いことではないんじゃないか? 
 砂浜は満月に照らされて、黄金色に輝いていた。
 風は穏やかで、まわりの温暖な空気に交じり、まるでマシリの頬を優しく撫で上げているかのように静かだ。岸辺で寄せる波に時々打ち付けられているその人間の体を、マシリはまじまじと見つめた。
 上等な外套に、真っ赤なタイを締めているが、そのむすびめはほとんど解けかかっている。顔は青白く、胸元あたりにおかれた手には、白いグローブがはめられていた。
 マシリの視線が動く。男の下半身には、二本の足が伸びていて、靴の片方は海のどこかに流されてしまったらしい。真っ白な靴下の先は、少し黒く汚れている。
 どうしたら目を覚ましてくれるのかしら、とマシリはおもう。体をゆさぶってみたら? それとも声を掛ける? それとも……
 マシリは魔に魅入られるようにして、その男の顔に自身の顔を近づけていった。唇が赤い。あんなに真っ白だったのに。もしかしたら、生気を取り戻し始めているのかもしれない……
 あ、とマシリはおもった。
 男の瞑った目から、何かが流れている。透明な……なんだろう。
 泣いている?
「放っておいて」
 赤い唇がそのような言葉を作った。その意味は、マシリにも分かった。人間は人魚と同じ言葉を話す。それが分かって、マシリは嬉しかった。
「放っておけない」
 マシリはその男の胸元に自分の手をおいて、言った。
「どうして落っこちてきたの。あたしのことが分かったの? どうしてあたしを見て笑ったの?」
 続けて、そう言おうとおもった。だけど、マシリはその言葉をついに口にすることはなかった。
 男が声を上げて泣き出したからだ。
 マシリは狼狽した。男は両目を片腕で隠すと、そのまましくしくと泣き出した。
「もう嫌だ。こんなのはもう嫌だ。僕なんか死んだ方がいいんだ。死んだ方が世の中のためになる」
「そんなことないわ」
 マシリは慌てて言った。「そんなことない。生きていればそのうちにいいことがあるわよ。いいことを教えてあげる。人間はね、いっしょうけんめい生きていれば、そのうちに、天国というとてもいいところに行けるのよ。そこではきれいな花が年中咲いていて、人々は季節を関係なく踊ったり、歌ったりしてゆかいに暮らすの。いまの憂さも、くるしみも、ぜんぶそこへ行けば報われる。すてきでしょう? そんなところに、行って見たいとおもうでしょう」
 マシリは生まれてからはじめてというくらい、一生懸命になって言葉を話した。
 しかし、その精一杯の言葉は、その男には通じなかったようだった。
「駄目だ」男は力なく首を振った。「僕は罪深い男だ。天国にはとうていいくことはできない」
「そんなことないわよ」
 と、マシリは言った。
「あたし知ってんのよ。人間は生まれながらにして天国への片道切符を握って生まれて来るのよ。あなたはそれを知らないだけ。あんたが以前にどんな悪行に励んだとしても……それは無駄なことだったの。残念ね」
 くすん、とその男が鼻をすすった。そして、自力で上半身を起こすと、まじまじとマシリの姿を見つめた。
「君はそんなこと、誰から習ったの?」
「おばあちゃんよ」
 マシリは得意になって言った。「あたしのおばあちゃんが、あたしにそう言ったの」
「ああそう」男は濡れた服の袖で自身の顔をこすると、「だけどそれは僕には当てはまらない」と、言った。
「なぜ?」
「なぜでも」
「なぜよ」
「なぜでもだよ」
「なぜ」
 男が黙り込んだ。これ以上の問答をする気はないらしい。
「なぜよ」
 マシリがそれでも追及すると、男は一瞬奇妙な顔をして見せたあと、俯いて、言った。
「僕は死にたいんだ」
「なぜ?」
「生きるに値しない男だから」
「そんな人間居やしないわよ」
「僕は人間じゃない」
 男は鋭く言った。「僕は……吸血鬼なんだ」
「吸血鬼? なにそれ」
 男は一瞬、気の抜けたような顔をした。そしてマシリの下半身に視線を向け、言った。
「君も人間じゃないな」
「これから人間になるのよ」
 マシリはあっけらかんとして答えた。
「人間に愛してもらって、それで、人間になるの」
 吸血鬼はちょっと困ったような顔をした。


****


「僕の一族はドラキュラ伯爵の昔から続く旧家なんだ」
 と、その吸血鬼はおのれの身の上話を始めた。
「吸血鬼というのはその名前の通り、ひとの生き血を啜って生きている。その血を吸われた人間は、やがて全身の血を僕たちに吸われて、衰弱して死んでしまうんだ。だけど僕たちは、人間の血を吸わないでは生きていけない。そういう種類の生き物なんだ。
 人間は他の動物の命をもらってその体を養っている。だから僕たち吸血鬼だって同じように、他の動物の命の源である血を吸い取って生きるのは、生物としての権利のはずだ。だけどそうやって生きるうちに、自分の生命の在り方というのに僕は疑問を持つようになった。
 つまり、人間というのにはきちんとした寿命があるんだよ。
 節度ある彼らは、生まれてから七十年、八十年くらいすると、身体の機能の低下によって、大体は死んでしまう。だけど、そのあとには新しい命がめばえるから、人間という種がほろぶことはない。こうして人間という節度ある生き物たちは、せんぐり、せんぐり生まれ継ぎながら、その生命の循環をきちんと巡らせているというわけ。
 そこへ来て、僕たちというのは生命としては落第さ。自分自身の力だけで生きながらえようとすれば、お他人様の血を吸ってそれを生命の糧としなければ生き継げない。そんなダニみたいな生活はもうこりごりだ、とおもえば吸血鬼なんて弱点だらけで、立派な紳士を呼びつけて来て喉笛に楔をぶち込んでもらうか、そんな当てがなければ朝日の差す方向に出かけて行って、おのれのくだらない体を太陽の陽に焼いてもらえばそれでオシマイ……
 だけどつくづく、生きるというのはくだらないことだね。どんなにか自分の生き方や暮らしがくだらない、ろくでもないものに満ち溢れているだけのものだと分かっていても、それを自分の力でなんにもなかったことにしてしまうという段になると、そんなごみの集合体のようなものでも、断然、惜しくなる。せっかくここまで生き継いできたのに、それを自分自身でだいなしにするなんて……僕はそれがたまらなく自己嫌悪だよ。いつだって死にたいとおもっているのに、いざその死がせまってくるのを感じると、そこへ怯えが来てしまって、朝日のまえに自分の醜い体を差し出すのがためらわれる。僕は臆病なんだ。臆病で、ひきょうものの、醜い吸血鬼なんだ」
 と、言って、その醜い吸血鬼は長いことしくしく泣いていた。
 一方、マシリは呆れていた。そして、先ほどまでの自分の感情と、今現在の、この吸血鬼とか名乗った男を見つめるところの自分自身の感情を引き比べ、失望していた。
 失恋ってこんなあっけないものかしら。一体あたしは、この男のどこに恋をして、どこに幻滅したというの?
 マシリが泣き沈む男を見つめながらそういうことを考えていると、男はくすんと洟をすすって、言った。
「君はもう行ったら?」
「どこへ」
「どこへでもさ。僕なんかに構っていることはないんだよ。自分の人生を生きて、頑張ってください。僕も君の知らない場所で、なんとかやっていくから」
「吸血鬼」マシリはどこか未練を引かれる気持ちで、とにかく会話だけは続けようと、むやみに口を開いた。「吸血鬼というのはどういうの? それは人間とは違うわけ?」
「違うよ」
「長生きするの?」
「するね。僕の母方の伯父さんなんかは三百年も生きていると聞く」
「それじゃあ、あんたたちには人間に約束されている“天国”という場所がないわけ?」
「ないね」
 吸血鬼はきっぱりと言った。「そんな上等なものは、吸血鬼の世界にはない」
「じゃあ、あんたがたは、死んだらどうなるの?」
「決まっている」吸血鬼は平然とした顔で言った。「灰になるんだ。吸血鬼は死んだら、灰になるんだよ」
 そんなのまるで人魚といっしょじゃないの、とマシリはおもった。


****


 それから人魚と吸血鬼は満月のあかりの灯る静かな夜の岸辺で、お互いの話を続けた。
 話しても話しても、言葉は水のようにマシリの口から流れてきて、枯れることがなかった。マシリは話しながら、もっと早く話したい、とおもった。もっと早く話さないと、次に頭に浮かんでいる話題や疑問を忘れてしまう。そして、それは絶対に口に出さなければならない大切な話題なのだ。だからこの話題を口にして、吸血鬼に話してしまうまでは、ぜったいにこの話題については覚えていなければいけない、そうおもいつつ、今現在の話題について話していると、その興味で頭の中がいっぱいになってしまって、とても次の話題についてその内容を精査しているひまがない。マシリは慌ただしく話しながら、もどかしい、苦しい、辛い、嬉しい、楽しい、悲しい、という感情で頭の中がいっぱいになった。苦しくて悲しくて楽しくてうれしい……なるほどお姉さんたちがこの感覚に夢中になったのも分かる。海の中でじっとして、魚相手に世間話をしているよりも、よっぽど頭の中が忙しい。一体あの海の中の会話って、何だったんだろう。あんなものを会話だとおもって、生命のなぐさめだとおもって平気で暮らしていたなんて……そんな馬鹿なことが……
「あなたみたいな生き物がいるなんて知ってたら、あたし今迄みたいに海の中でじっとしているのが馬鹿みたいになっちゃった」
 と、マシリは興奮して言った。
「だってあたしの話し相手ときたら近所のデメとか、うつぼとか、まだうまれたての小魚あいてにしているキンメの奥さんなんか、それっぽっちなのよ。それであの人たちは、あたしたちのことを馬鹿にするの。魚でも人間でもないあんたは半端ものの生き物としてのできそこないだって。なんであたしがそんなふうにいじめられないといけないの?」
「それは気の毒なことだったけど」吸血鬼はためらいがちに、「だけど仕方がないんだよ。そう生まれついてしまったんだもの。そう生まれついてしまったものは、その生命を全うするまで、その生命を自分であやしつつぼちぼちやっていくしかないんだ」
「あんたって消極的ね。憤りというものがないの?」
「僕はどちらかというと加害者側だから」吸血鬼は仕方なさそうに肩をすくめ、「僕にはあなたと違って人間そっくりの手足があって、人間世界に擬態して生きることが出来る。その分生命維持にはかかせないところの人間様には頭が上がらないんだよ。彼らがいなければ、僕たちは生きてさえいけないんだから」
「人間ってそんなにえらいものなの?」
 マシリの好奇心に満ちた目を、吸血鬼はじっとみつめた。
 まるで太陽と月がいっぺんにおさまっているかのような、魅力的な瞳だ、とマシリはおもった。
 そのうつくしいものを見つめて一生を終えることが出来るのなら、それでも十分生まれてきた甲斐があると分かるほどのうつくしいものを見ている、とマシリはおもう。けれど、この吸血鬼は落第だ。だってこの人は“人間”じゃないんだもの。吸血鬼に恋した人魚が天国に行ける? 行けるはずがない。だって吸血鬼は、死んだら天国に行くのではなく、ただ灰になるだけ……
「偉いよ」
「どうして?」
「偉いさ。決まっている」
「だから、どうして」
「人間は“基準”だから」
 と、その吸血鬼は言った。
「僕たちというのは人間を基準にして生まれついた人間もどきなんだ。それならば、その標準であるところの形態に敬意を表したって、不思議じゃないとおもうけど」
「良く分からないけど」マシリは眉間にしわを寄せながら、「あたしは、人間には天国という素敵な行き場所が用意されていて、人魚や吸血鬼にはそれがないから、だからいいものなんだと教えられたのよ。そういう考えを、あんたはどうおもうの?」
「少なくとも」と、その吸血鬼は言った。「僕は人間にあこがれているんだ」
「憧れる?」
「もしも望みが叶うのなら、僕だって人間のようなりっぱな生き物に生まれ変わりたい。そうすればこんなくだらない方法でいぎたなく過ごすこともなくなるだろうし、自己嫌悪も抱かなくて済む」
 吸血鬼はうつくしい目をして、マシリを見つめた。「僕は君が羨ましい。人間に恋をすれば、人間になれるというあなたのことが」
 マシリは左胸の奥に刺すような痛みを感じた。誰かがマシリの内部から体を叩いて、ここから出してと叫んでいるみたいだ。だけどマシリには、その内部の人物を自分の胸の奥から出してやれる方法が分からない。だからマシリは、その左胸の奥から突き刺して来るような痛みに耐えるしかない。
「あたしは人間にはなれないわ」
 マシリは吸血鬼のうつくしい目をうっとりと見つめながら言った。「だってあんたは人間じゃないもの。あたしはあんたのことが好きだけど、吸血鬼に恋をしたって仕方がない……それに、あたしは死んだりしない。死にたくないのよ。人間として生きたいの。恋をして、その果てに死ぬことしかできないできそこないの存在になるなんて……」
「分かるよ」
 吸血鬼は、労りの仕草をした。「そんなものは生き物とは呼べない。ただの泡のように単純な、循環のようなもの」
「あたし泡になりたくてうまれてきたわけじゃない」
「そのとおり」
 マシリにとって、吸血鬼のその呼応は心強いものに聞こえた。それはマシリが今までに聞いてきた他人の言葉の中でもっとも強さを感じさせるものだったし、激しい実感としてマシリの頭の中に染み込んだ。けれど実際の吸血鬼はただ疲れていて、はやく自分のベッドに入ってぐっすりと眠りたかっただけだった。だからそのマシリにとっては力強かった言葉も、吸血鬼にとっては会話を打ち切るためだけの方便に過ぎなかった。けれど、それでもその時のマシリにとっては、十分に意味のある言葉になっていたのだ。
 ねむかった吸血鬼は、マシリにある男のことを紹介してくれた。
「まったく人間というのは複雑怪奇な生き物だよ。僕みたいな単純生物からしてみれば、理解不能としか言いようがない……」
 その男というのはこの海の周辺の地域を統べる領主で、年のころなら五十を越えるというほどの年齢ではあったものの、その容姿を見れば二十歳そこそこといったふうの、若々しい顔立ちをしているとのことだった。
「僕がまだその領主の屋敷で宮仕えをするまえ、今から三十年もまえのことだ。僕の古城へやってきたあの男は、僕に向かってこう言った。“私は永遠の命と永遠の若さを手に入れたい。その代わりに、お前にはこれから一生涯、飲んでも飲んでも飲み足りないほどの新鮮な血と暖かいベッドを用意してやる。”
 あの頃というのは吸血鬼規制の厳しい時期で、見つかれば異端審問に掛けられて、火あぶりだ。僕たち吸血鬼というのは滅多なことじゃ死なない。それを、夜中にやって来て屋敷から引っ張り出し、真夜中から朝方に掛けて、じっくりと火であぶっていくんだ。人間たちは火であぶられながらもなかなか死なない僕たちを見て、つかの間の娯楽を得る……僕はそれに怯えて城に引きこもり、餓死寸前というところだった。領主様のその言葉に、一も二もなく飛びついたよ。まったく飢えというのは恐ろしい。何も考えられなくなる。藁にでもすがりつくおもいだったよ。もうあんなに苦しいおもいは二度としたくない……
 僕は領主様の望み通り、あの御方の首筋を噛んで、あの御方の永遠をお約束させていただいた。吸血鬼に噛まれ、選ばれた人間は、永遠の若さと永遠の命を手に入れる。だから領主様はずっとお若いし、歳も取らない。
 僕はだから、その城にあなたをご案内することはできるよ。そこであなたが恋しいとおもえる人間を探すといい。もちろんむりにとは言わないけど」
「ぜひそうさせていただきたいわ」
 マシリは恭しく返答した。「それにしても人間というのはおかしなことを考えつくのね。永遠の命なんて……あたしたちからすれば、そんなものが与えられたところでへのつっぱりにもならないなんてことは分かり切っていることなのに。どうしてそんなばかなまねをするんだろう。益々尊敬できない」
「人というものは、自分にないものを欲しがるようにできている」と、吸血鬼は言った。「きみだって自分にないものを欲しがっているじゃないか」
「どこが? どれが?」
「天国のことだよ」
 と、吸血鬼は言った。「人間になって、限りある命をまっとうして、死んだら天国に行く。そうだろう」
 それから吸血鬼は、まるでマシリのことを値踏みするような目つきで見つめた。けれどマシリは、吸血鬼のそんなしぐさにでさえうっとりした。
「ああ、あんたが吸血鬼とやらでなければねえ!」
「僕は勇気が欲しい」
 吸血鬼はマシリの言葉など耳に入らなかったかのようにうつむいて、ぽつんと言った。「灰になる勇気。生き物でなくなる勇気。今までのおもいでもくるしみも全部、ごみみたいに放れる勇気」
「そのうち涌くわよ」
「うじむしみたいに言うな」
 恨みがましい目で、吸血鬼がマシリを見つめた。だけどマシリはそれだけで、天国というのがどういう場所か分かるような気がした。天国というのはつまり……
 その後二人は、三日後同じ時間同じ場所で再会することを誓い、別れた。
 翌日マシリは人魚の声と引き換えに人間の足を生やす薬というのを、もらいにでかけ、荒れ屋の魔女の手から、そのきれいな玉虫色をした小瓶を受け取った。
「これであたし、一生口がきけなくなるのね」
 マシリはなんとなく暗澹とした気持ちになりながらその小瓶を見つめた。荒れ屋の魔女それを聞いて、「だけどこんな魚の尾っぽをつけて海の中を漂っているよりもよっぽど建設的だよ」と言った。
「建設的ってどういうこと?」
「生産的ということだよ」
「どうして声をなくして足を生やすことが生産的なの?」
「そんなことまで考えなくていいの」と、老婆は言った。「そんなことまで考えろって、誰がお前に強制した? 誰にも頼まれてないことをさも重要なことみたいにして疑問するのはあんたのわるいくせだよ」
「なんで疑問を持つことが悪いことなのよ」
「そういう無駄口が叩けなくなるのはあんたのためになる。声なんかさっさとなくしちまって、足を生やす方が、よっぽどためになるよ」
「意味が分からない」
 そう言いつつ、しかし人魚でしかないところのマシリは自宅へ帰っておばあさんにあいさつを済ませるために出掛けた。
   マシリはもちろん反対などされるはずもないとおもっていた。が、違った。
「行かない方が良い」
「なんでよ」マシリは食って掛かるように言った。「おばあちゃんだって、あたしが人間になった方がいいと言ったじゃない」
「人間にならなくても生きる方法はある」と、マシリの祖母は言った。「あたしが良い例だ。人魚は人魚同士で番って、それでこどもを産んで、海の中で暮らしていくのが一番いいんだよ」
「言ってることがちがう」マシリは言った。「天国はいいところって言ったじゃない。あたしがそこへひとりだけ行くのがうらやましいの?」
「なんてことをいう子だろう」マシリの祖母は恐ろし気に、「おばあちゃんがおまえに相応しい相手を探してやるよ。お前が本当に行く気になるなんておもってなかったんだよ。天国に確実に行けるかどうかなんて分からない。孫娘を三人もなくして、おばあちゃんをひとりぽっちで海の底に置いていくの?」「それは違うわ、おばあちゃん」マシリは小瓶を握りしめて言った。「おばあちゃんのまわりには、死んだ姉さんたちが泡になっていつだって寄り添ってる。おばあちゃんはひとりぽっちなんかじゃない。ほら、いまにもそこに、お姉さんが弾けた!」
   マシリは海の中を指さして、それから逃げるように泳いだ。そしてほとんど自暴自棄のようになって小瓶の中の、その玉虫色の液体を飲み干し、意識を混濁させ、人魚としての意識を手放した。

 

****

 

 マシリは激痛で目を覚ました。下半身がしびれるように痛む。もしかして、ねむっているあいだに魚にでも尻尾のはしっこをかじられたのでは?
 マシリはそれを確認すべく上半身を起こし、自身の下半身を見た、そして声にならない叫び声を上げた。
 銀のうろこに包まれた魚のしっぽの代わりに、マシリの下半身にはにょっきりとした二本の細い、白に少しの銀を混ぜたような色をした足がついていた。それがさきほどからじくじくと膿むように痛んでいたのだ。マシリはその見慣れない足を撫でさすり、それによって自身の脳が触覚を得ているというのを知った。だからこれは自分自身の足であり、そしてそれを感じている“人間”の脳みそは、私自身のものであり……
 次にマシリはおのれの首元に手を当てた。そして、口を開けて、「あ」と発音した。
 何も聞こえない。
「あ あ あ」
 何も聞こえない。ただ空気の抜けたような感覚が喉の奥を掠めるだけで、その発音は意味をなさず、音も奏でない。マシリは喉に手を当てながら、「そうか……」とおもった。
 あたし、人間になったんだ。
 マシリはしばらくその場でぼんやりと海を眺めた。そして決心をつけると、砂浜に両手を置いて、自身の体を持ち上げ、転倒した。
 マシリの人間への第一歩までには、またしばらくの時間を必要とした。マシリはその慣れない二本の足に力を入れては転倒し、力を入れては転倒しを繰り返し、その間に二度ほどふて寝をし、起きて立ち上がり転倒し、立ち上がり転倒しを繰り返しようやくひとりで立てるようになった頃には日は暮れかけ、昇った朝日は沈みかけていた。そしてマシリは岸辺に寄せて返す波打ち際に足を遊ばせながら、吸血鬼のことを待ち続けた。
 しかし、吸血鬼がやってきたのはそれから五日後のことだった。
 吸血鬼はマシリとの約束を、すっかり忘れていたのだ。
 それどころではなかったからだ。
 あの日吸血鬼が屋敷に帰ると、屋敷の中は騒然としていて、使用人たちが屋敷のあちこちを走り回っているのが見えた。吸血鬼は忙しそうにしている人々に容易に声を掛けるのが躊躇われて、しばらく屋敷の出入り口のまえでもじもじしていた。
 すると、中央階段から降りてきた使用人の一人が鋭く吸血鬼の方を見つめ、早足で駆け寄ってきた。吸血鬼が声を掛けようとすると、強く腕を掴まれ、そして、「書斎へ来なさい」と言われた。
 そこでは彼の主人が待っていて、お前が船から落ちたせいで大変な損害が出た、それについてお前の意見が訊きたいが、何か申し開きのようなものがあるかと尋ねられた。吸血鬼は考えあぐね、口を開き、また閉じ、開きかけて、閉じた。
「世の中というものは」
 と、彼に噛まれたお陰で不老不死になった若々しい、そのうつくしい男は言った。
「すべて関わりなんだ。人間同士の関わりなんだよ。そこにはしがらみや面倒も勿論あるが、一番大切なのは信頼だよ。相手を信頼しているからこそ、客を任せる。仕事を任せる。そういうものだ。お前はそういう信頼という、社会生活においての一番の財産を、みずからどぶに捨てるようなまねをして、私の顔に泥を塗った。私がお前に与えた恩はその程度だったということだ。私が目を掛けていたお前という生き物は、その程度の、つまらない、人間の礼節というものの範疇から外れた、けだものに過ぎなかった」
 吸血鬼は平身低頭し、“誤って”船から落っこちたことを謝罪したが、主人の憤りを鎮静させることはできなかった。
 吸血鬼はだからそれから数日、主人のご機嫌取りをするのに終始した。新鮮なまだ花のかおりを残すような娘たちをかどわかして屋敷に連れてきたり、なんでも形から入りたがる主人のために、マホガニー材で作られた特注の棺桶型ベッドなどをプレゼントして、精々の御機嫌伺をしていた。そうやってうかうかとした数日を過ごしていた吸血鬼がマシリとの約束をおもいだしたのが、マシリが人間になってから七日目の、月が雲に隠れる晩のこと。
 吸血鬼はその晩、かどわかしてきた娘たちの身に着けていたドレスやアクセサリーなどを質屋に流した後、マシリと約束した夜の岸辺に向かった。
 きっともう僕のことなんて忘れてしまっただろう、と吸血鬼はおもった。
 どうせ僕は約束だってまもれないし、主人のメンツをつぶすようなまねしかできない。僕は生命として根本的にできそこなっているんだ。こんな僕がこの世で為せることなんて、どんなこともありはしない。それならばやはり、いっそのこと……
 暗がりのなか足元も見ずにそのようなことばかり考えていたせいで、吸血鬼はめのまえにあったまっしろなものにけっ躓いて、転んだ。
 鼻づらを強かに打ち付けた吸血鬼は、自身の顔を押さえ、その場にうずくまった。それから、カンテラを掲げ、自身の歩行を阻害したところのその障害物を、まじまじと見下ろした。
 それは女だった。女の長い髪はその白い肢体に海藻のように絡まって、その全身の裸像を他人には控えめにおひろめする程度に抑えていた。
 水死体だろうか、と吸血鬼はおもった。死体に触れることは好まないので、その裸体の首のあたりに足を掛け、やや力を入れて裸体を裏返す。女は目を瞑っている。その顔に見覚えがあるような気がしないでもないが、だけどこれは人間の死体で……
 その死体の目が、見開かれた。
「びっくりした。生きてるのか」
 吸血鬼は自身を安心させるためにそう言った。しかしそれは独り言で終わった。目を覚まし上半身を起こしたその女が、何も言わなかったからだ。
 吸血鬼はその場にかがみこんで、その女を見つめた。
「どざえもんになるにしても服ぐらいは着ていてもいい気がするけど……それともみぐるみぜんぶ剥されたの? 誰に?」
 吸血鬼は確実に、その女の目を見つめ、まじめな素振りでその女に話しかけたに違いなかった。しかし女はどこかかなしそうな目をして首を振り、おのれの喉に手をやると、そこをごしごしとこすり、それから口を動かして、乾いた息のようなものを吐いた。
「あ、なるほど」
 吸血鬼はそれで納得して、これはちょうどいいとおもった。
 なにしろ彼のご主人というのは、毎晩の“糧”についての注文がうるさいのだ。
 筋の固いのは嫌だの血に酒の味が入っているのは嫌だの、粗食に甘んじている血はかおりが貧相だから嫌だの、美食家気取りであれこれと注文をつけ、この頃では気に入らないと口もつけない。いい加減彼がうんざりしていると、彼の主人は、お前の正体を暴いて朝日の昇るころからお前を十字架に括りつけて馬に乗せて街中を練り歩きその顔が朝日に崩れ腐るさまを住民の皆様にお披露目してやると脅すので、仕方ない、吸血鬼は“糧狩り”と称して街の若い女たちをかどわかし続け、その人口は着々と減少の一途をたどる羽目になっていた。
 しかし若い女というのも一絡げにして考えてはいけないもので、それぞれに性格というものがあれば個性というものもある。暴れるもの、泣き叫ぶもの、悪魔も恐れて尻尾を巻いて逃げ出すほどの罵詈雑言を浴びせるもの、とにかくおいそれとおとなしく捕まっていてくれるような相手になどなかなか出っくわさないというのが本当のところなのだ。
 そこへ来てこの女はなかなか良い。第一口がきけないのだとするのなら、吸血鬼に向かって「このろくでなし。やどろく以下。ケダモノ、うじむし入りのチーズ、腐ったあめんぼう」なんて口汚く罵ってくることはないだろうし、どざえもんのなりそこないだとすれば、世の中の人間は、この女はもう死んだものとみなして新しい生活をはじめているかもしれない。この女は“世間”から切れている……そう仮定するならば……
「こんな格好をしていたら風邪をひくよ。さあ立って」
 吸血鬼はねこなで声に甲斐甲斐しく女を立ち上がらせながら、裸の女に自身のマントをかぶせてやり、前で合わせて正面をベルトで結ぶ。そしておぼつかない足取りの、声のない女の手をひっぱって、屋敷へと連れて行った。
 驚いたのはマシリの方だ。
 彼女からしてみれば、七日間程度の長き間、吸血鬼のことを飲まず食わずで待ち続けていたものだから、すっかり体力をなくしてしまって、抗議する力さえも残っていなかった。
 マシリとしては勿論、抗議をしたかった。あんたいつまであたしを待たせるつもりだったの? あたしに躓いて転んでいたけど、あたしを蹴ったことについての謝罪は? それにあんた、もしかしてあたしのこと分かっていないんじゃないの? あたしのこと覚えてる? あの晩あんたを助けたのはこのあたしなのよ、それなのに……
 けれど彼女は結局、その抗議のひとつも口にすることは出来ずに、ただ牛に引かれて善光寺参りよろしく、吸血鬼に連れられて、その領主が住まうという屋敷にまで連れていかれて、一部屋を与えられ、まずはコンソメの薄いスープから、徐々にお腹の中を慣らしていって、ミルクがゆ、ジャム付きのパンにくだものなんかを与えられ、しばらくのうち昏々と、まっしろなベッドの上でねむりつづけた。
 そんなむすめが西棟の一番日当たりの良い部屋でねむりつづけているというのを聞きつけた領主は急いでやってきて吸血鬼のことをせっついたが、「まあまあ、もう少し回復するのを待って」と諫め、また数日。
 マシリが目を覚ますと、そこには目の覚めるような、水も滴る美青年がマシリを見つめていて、息が止まりそうになる。
 部屋の中はあたたかく、カーテンの向こうで固く閉じられた窓からは、ときおり風が木枠を叩く音がする。ベッドの横の燭台のあかりがゆらゆらと揺れ、クリーム色の壁紙に、大きな黒い影をつくっている。
 マシリはあらためて、その黒い影を作っているところの主の顔を見つめた。
 黒くうねった長い髪をひとまとめにして、後ろでくくっている。肌は蝋のように真っ白で輝きがなく、長いまつげがまばたきをするたびに、パチパチと、ちいさく細かく爆ぜるような音を立てる。
 それよりも何よりも……
 きれいな眼! とマシリはおもった。そして、その目を見ながら、マシリはそれを懐かしくおもった。
 あの吸血鬼と、同じ眼だ。たぶんあたしはきっと、この眼に弱くできているんだわ。そうじゃないと、説明できない。出会ってまもない他人のことを、こんなに慕わしくおもうようになるなんてことは……
「名前は?」
 うつくしい声が、マシリに問いかけた。
 マシリはやわらかい枕の上でまばたきを繰り返した。マシリは答えられない。字も知らないから、文字を書いてそれを声の代わりの返答にするという術も持たない。彼女はきゅうに、大きな暗い穴の中に放り込まれたかのような感覚を覚えた。あたしにはいま何もない。めのまえの人に気に入ってもらう術も、めのまえの人に自分というものを知ってもらう術も、なにもない……
 けれどめのまえのうつくしい男が、マシリのそのような無力感を知るはずもない。それどころか彼女のめのまえの男は、そのマシリの感じた無力感そのものを愛おしむかのような目をして、彼女のちいさな頬に触れ、そして言った。
「君はなんてきれいなんだろう」
 その瞬間、マシリのなかの無力感はしおれていって、そして、二度と彼女の頭の中にもどらなかった。
 マシリは男のその言葉を、おかしい、奇妙だ、不思議だとはおもわなかった。けれど、まともな頭で考えれば、男のその発言はおかしく奇妙で不思議なもののはずだった。だってあたしは自己紹介をしていないし、男の質問を無視したし、みずから男の方へ寄って行って、好かれようとする何らかのアプローチをしたわけではなかったのに。
 それにもかかわらず、どうしてこの男はあたしのことを好意的な目で見つめるんだろう。そんなふうに値すると、どうして感じたんだろう?
 マシリはそういうことを考えてみてもよかったのかもしれないが、そんならちもないことを考える必要は、いまの彼女にはなかった。そして考えないどころか、男のそのような視線を、彼女は、「当然だ」とおもった。
 この男があたしのことを好意的な目で見るのは当然だ。だってあたしはこの男のことが好きで、それにきっと、この男に恋をするために生まれてきたんだから。だからこの男があたしに恋をするのは当然で、それが人魚という生き物が一段上の存在になるためのりっぱな手続きのひとつなのであって、だからあたしはこの男に恋をして、人間にしてもらって、そして、人間と同じ天国に行って、それから……
お姉さんたちも海の魚連中も、みんなあたしのことを尊敬するわ。そして、立派な、いちにんまえの人魚だったって、あたしのことを褒めてくれる」
 マシリは、頬の上のつめたい指先の感触を感じながら、再びねむりについた。なんだかねむくてねむくてたまらなかった。男の冷たい指先は、マシリの頬をくすぐるように動き、鋭い爪が彼女の首筋をなぞるように動いた。マシリにはそして、その感覚はここちよいものに感じられた。だからマシリはその日も安心してねむりにつくことができた。そして、日に日に衰弱していった。


****


 マシリはとても穏やかな気分だった。そしてそれは、彼女が生まれてから一度も感じたことのなかったものだった。
 それまでのマシリは、ずっと苛々していた。ずっと機嫌が悪かったし、ずっと気分が悪かった。自分が魚と人間の中間であること、自分の身内であるところの姉たちがみんな、人間に恋敗れて泡となって消えてしまったこと、話し相手にめぐまれなかったこと、そのすべて、海で生活していたことすべてに対して、ずっと不満を募らせていた。
 だけどいまは違う。そういう半端なものから逃げ出して、自分のすべきことを全うしている最中だ。あたしは半端ものなんかじゃなくて、魚のできそこないでも人間のできそこないでもなくて、それにあたしのことをきれいだと言ってくれるひとがいる。部屋の中は常に暖かく、ひもじいおもいをすることもない。それにここにいる限り、あたしのことを軽蔑するような目で見て来る人は、ひとりだっていやしない……
 マシリはそれだけのことをベッドに仰臥したまま考えていて、それで、とても幸せだった。
 マシリの頭の中ではそういう平和な幸福感が持続していたが、それでも傍から見れば、彼女はただの、吸血鬼城に囚われたあわれなる人間のこむすめでしかなく、屋敷の主人がそれをできるだけ“長持ち”させたいがために毎晩少しずつ血を抜くせいで体はどんどん衰弱していき、せっかく生えた二本の足もほとんど使わず仕舞いで目も当てられないほどだったが、それでもマシリは幸せだった。
 もちろんマシリは、今現在の自分自身が死へと向かう直行便に乗り込んでいるのを知らない。
 けれど彼女は、搭乗したつもりのない、そんな死の直行便のなかでシートベルトを締めて、機内食をゆっくりと楽しみながら、窓際の席でぼんやりと窓の外を眺めているかのような、穏やかな気分を続けていたのだ。
 彼女の頭の中には苦しみもなく、悲しみもなかった。そして彼女の靄がかった頭の中にかろうじて残っているもの、それは期待と興奮と、それからほんの少しのじれったさだった。
 朝とも夜とも分からない、分厚いカーテンで一日中覆われたその部屋の中には、たえずろうそくの明かりが灯っていて、空気は停滞し、ベッドの中でろうそくの明かりが映し出す部屋の調度品に落とされた黒い影を見ているだけでも、なんとなく気が休まってくる。その穏やかな停滞し、しかし確実に流れている緩慢な時間のなかで唯一、冷たい外の空気が忍び込むように入ってくるその時間。マシリは一日のなかで、その時間が一等好きだった。
 その冷たい空気をまとって部屋の中にやってくるその黒い影が、マシリの温んだ首にまとわりついて、マシリはその冷たさで目を覚ます。
「おはよう。よくねむれた? 今日も君はきれいでかわいいね」
 マシリは、かつて姉のひとりに言われたことがある。
「好きなひとに褒めてもらえて、かわいいね、きれいだねって言ってもらえることより素晴らしいことってないのよ。たった数文字の言葉のくせに、たったそれだけのことで、全世界が私のことを肯定していて、私はこの世に相応しいように作られているんだと実感できるのよ。こんなこと、海でのんびり暮らしているだけでは味わえない。海での生活は、ぜんぶ正しくなかったんだというのがわかるの。あんたも恋をすれば分かるわ。それほどすばらしいの。人間からの愛というものは……」
 けれどマシリは、その“言葉”に“言葉”で返すことが出来ない。だからマシリはその言葉に応えるために微笑もうとするが、顔の筋肉がうまく緩まないから、微笑むことも出来ない。ああ、こんなことになるのなら、声とひきかえに足なんてもらうんじゃなかった。チットモ役に立ちやしないじゃないの、こんなもの。でもやっぱり……だめだわ。下半身が魚のままだったとしたら、この男はあたしのことをかわいいだとか、きれいだとかなんて言いやしなかった。それどころかきっと、この男はあたしのことをケダモノだと罵って……ああ、人間が羨ましい。うまれたときから天国行きが決まっていて、りっぱな二本の足も生えていて、声も出せる、そんな人間が、あたしは羨ましい!
 声も出せず微笑むことも出来ないマシリは、だからふたつの目の端から涙を流して“喜び”を表現し、せいぜい彼女の首にかみつく男に喜ばれている。男に夜な夜なかみつかれてマシリの首は穴ぼこだらけ、まっさおでとても見ていられないようなものだけど、それでもそんなことを知らないから、マシリは幸福のままだった。
 さて、そんなある夜のこと。
 マシリがあの出会いの夜に勘違いをして恋をした吸血鬼はというと、国外へ出てわがご主人様のための“糧狩り”に出掛けていた。
 国内ではすでに、相当数の若い女が行方知らず、あるいは用水路のふちで骨と皮だけになって発見されるなどというようなことが起こり、人さらいを恐れた若い女のいる家庭は、家にかんぬきを掛けて、自分たちの娘を一切外に出さないようになった。比較的裕福な家庭は家庭教師を呼んで家庭内で教育を済ませ、金のない家はただでこどもをぶらぶら遊ばせていくわけにもいかないから外に出しているが、彼の主人が「粗末な食事しかしないものの血は旨くない」とかぜいたくなことを言っているから“糧”として機能しない、というわけで、吸血鬼は先日から、人さらいの噂の広まっていない地方まで出て行って、“糧狩り”にはげまなければならないということになっているのだった。
 けれど吸血鬼は馬車に揺られながら、うんざりしていた。
 このところなりをひそめていた彼の中の希死念慮というやつが、むくむくと動き始めていたからだ。
 こんなくだらないことを繰り返して、何になるというのだろう。くいもんなんて腹にはいっちまえば木の根っこでも上等なフォアグラでも、腸から出て行けば同じなのに。やはり僕の考え方は間違っていた。いくら飢餓にあえいでいたのを救われたからといって、ここまでしてやる必要があるだろうか。自分のことながら、情けなくて涙が出て来る。普通は噛んだ方が噛まれた方の主人になるのが当然であって……
 やっぱり潔く死んだ方が手っ取り早い。こんなろくでもない生命をうさうさとのさばらし、本来であるならば延命されるべき若々しい人々の生命を、あたら無残に散らせるなんてことをするために……僕は生まれてきたんだろうか?
 しかしそう殊勝に考えつつも、やるべきことはやるべきことだ。ちょっとよさげなお屋敷から出てきて、まだ世間を疑うというのを知らなさそうな若い娘に吸血鬼は声をかけて、それでまんまとふたりの女を馬車に連れ込み、首元にかみついて新鮮な命をすすり弱らせ、月夜の晩をゴトゴトいわせ、馬車で城へと戻る道中で、吸血鬼はあの晩別れた人魚のことをおもいだす。
 あの子は元気にしているだろうか。
 吸血鬼はそれで、あの晩人魚と出会った浜辺に行った。海は穏やかで、空の向こうは朝日を含んで白み始めている。まだ夜の色を薄く残した空には、真っ白な穴のような、真ん丸とした満月が浮かんでいた。
 ふと、吸血鬼は足元に目を向けた。
 なにかごみのようなものが、波に揺られている。死んだ海藻か何かだろうか、と吸血鬼はおもった。
 すると、その海藻が動いた。髪の毛だ、と吸血鬼はおもった。もしかしたら、“あの”人魚かもしれない。人間になりたがっていた人魚。そして吸血鬼は考えた。どうせ死ぬなら、死ぬ前に一度善行というのをしてからにしよう。そう考えても、罰は当たらないはずだ。くだらない一生ではあったけど、その一生の中で、一度だけでも他人ののぞみをかなえてやることができれば、こんなに素晴らしいことはない。どんなにくだらない人生だったとしても、その中で誰かの役に立つようなことがあれば……生まれてきた甲斐がなかったなんて、きっとそのお他人様の方が否定してくれるはずだ。そのようなことになれば……
 吸血鬼はその海藻のようなかたまりを掴んで、引き上げた。しかしそれは、吸血鬼が見当をつけていたあの人魚とは、どうも勝手形がちがっているようだった。
 しかし吸血鬼は失望しなかった。それどころか、明るい気分だった。そして吸血鬼は知った。死をめのまえにし、それが未来の現実へと続く実感として迫ってきた時……こころというのはこんなに穏やかになって、そして落ち着いてくるものだということ。
 吸血鬼はそれで、その足で屋敷の西棟の、例の部屋、例のすっかり衰弱しきってもうほどんど“使えなくなりそう”な娘のところへ出かけて行って、すっかり木の皮のようにやせ細った女の上半身を起こしてやり、そして、言った。
「今日、きみのおばあさんだという人に会って、話した」
 女の目が見開かれた。それだけで吸血鬼は、あの波打ち際に死んだ海藻のようにしてひっからまっていた古びた人魚の女が、このむすめの関係者であることを確信した。
「だって君には足があったんだもの。君があの時の人魚だなんて分からなかったんだ。あの日は暗かったし、碌に君の顔を見る余裕なんてなかった……そうならそうと、言ってくれればよかったのに」
 女はかなしそうに首を振った。だから吸血鬼はその女を安心させてやるために、「口がきけないんだろう、分かっているよ。色々と不便もあっただろうね。おばあさんも心配していたよ。おばあさんは君が人魚に戻るべきだと言っていた……ところで話があるんだけど、少し時間を貰っても構わない?」
 女が咳き込んだ。吸血鬼は立ち上がって、水差しから水を注いで、女に飲ませてやった。女は口元を拭うと、荒い息を吐き、それからちいさく頷いた。
「君と僕のあいだには、ちょっとした手違いがあったみたいだ。そもそも僕たちは、目指す方向性が違っていた……とおもう。君は生きたがっていたけど、僕は全然そんなふうには考えられなかったから。もしも僕が君のことにきちんと気づいて、期日までに君を迎えに行ってあげられていたら――こんなことにはならなかった。その点は謝罪する。ほんとうにごめんなさい」
 そう言って、吸血鬼はぺこりと頭を下げた。女はぼんやりとした顔をしていて、何の反応も見せない。「だけどどちらにせよ、やっぱり僕には、自分の存在そのものというか……生活そのものが馬鹿馬鹿しくてたまらない。いままで我慢してきたけど、もう我慢の限界だ。あんな馬鹿を主人として仰ぐことにもうんざりしているし、他所から人をさらってきてそれを糧にしなきゃならない自分自身にもうんざりしている……もうこんなことは止めにするべきだ。僕はもうそう決心した。だから……」
 吸血鬼は顔を上げ、そしてめのまえの女を見つめ、そして言った。
「君もいっしょに死のう」
 女は、嫌そうな顔をした。
 けれど吸血鬼は死をめのまえにしていて興奮していたので、その興奮のまま立ち上がって、言った。
「君はずっとねむっていて、それに人間界のルールにも疎いから、知らないことだったかもしれないけど……きみはもう、そこらじゅうを歩いているどんな人間よりも今、死にやすい環境にいる。だから死ぬといっても苦しまないし、痛くもないよ。ぜんぜん、痛くなんてないんだ。むしろ気持ちが良いくらい。僕は知っている……死にかけている虫の死は穏やかで、まるで時間がそこだけ止まっているみたいに、ゆっくりと進行する……僕はそれを知っているんだ……」
 吸血鬼は興奮してばりばりと頭を掻いた。そのもじゃもじゃとした髪の毛の中から、ぱらぱらと色んな種類の虫たちが飛び出し、ろうそくの明かりの先に絡めとられ焼け死んだ。
「君は知らないことかもしれないけど、そしてとても残念なことなんだけど――きみはすでに人魚ではなくなった。だけど、人間でもない。君はいま、吸血鬼なんだ。分かる? ――きゅう、けつ、き」
 吸血鬼は爛々とした目をして女を見つめた。
「吸血鬼に血を吸われたら、吸われたあいても吸血鬼になる。僕の主人は、僕がその首筋を噛んだことによって吸血鬼になって、それであんたの首を噛んだことで、あんたも吸血鬼になった――もしも吸血鬼から逃れたいと望むなら、あんたはご主人様であるあの男のねむっているところへ行って、その口ににんにくのまるいのをぶちこみ、そしてそののどぼとけに向かって、杭を打ち込まなければならない。そうしないと儀式は完成しないんだ。だけどあんたに、衰弱しきってもう一歩も自分自身では歩けないあんたに、そんなことが出来る? ――出来ないよね? 出来る?  ――出来ないね」
 吸血鬼はそうやって女の意見を早決めし、そして続けた。「僕はあんたと生きることは出来ないけど、死んでやることは出来る。だいたいから、生きることにお互い倦んでいたんだ。吸血鬼や人魚なんて半端なもの、誰が欲しいって望んだというんだ? だけど僕たちは、そんな中途半端な生にさえ、むりやり意味を見出して、怖がっていた」
 と、吸血鬼は言った。
「死んだら完全にいなくなる。僕のくだらないおもいでたち。初めて見た雪のすばらしさ。菜の花畑に出掛けた夜のこと。路地裏で痩せたねずみの血を啜って生きながらえたこと……ぜんぶくだらないおもいでだった。そんなごみためのようなものを、宝物かなにかのようにして抱きしめて、だらだらと生を延長した。だけどもう、お互いに、そんなものからは卒業しよう。そして灰になるんだよ。うつくしい――物を考えない、ただの灰に」
 灰? とマシリはおもった。
 冗談じゃない。そんなものになるために生まれてきたんじゃない。だいたいから、泡になりたくなかったから、あんなに苦い薬を飲んで、激痛をおして二本足で立てるようになって、人間になったのよ。人間になったつもりだったの。それが気付いたら、吸血鬼? 半端ものから半端ものになる……そんなものになりたかったんじゃない。あたしは、人間になって――
 あたし、生きたかったのよ! 生きて、恋がしたかったの。平凡になって、人間と同じ生活をするわ。それでこどもを産んで、平凡に生きるの。それから好きな人と手を繋いで、いっしょに天国に行くの。私は天国に行くのよ。私は灰になるために生まれてきたわけじゃない。あんたなんかと死ぬために、生まれてきたんじゃない――
「僕はこれでやっと解放される。その決心がついた。君のお陰で……君のお陰で!」
 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
 だけどその感情は言葉にも声にもならなかった。なぜなら、マシリは言葉を失う代わりに、二本の足を手に入れていたから。
 紙のように軽い彼女は、簡単に吸血鬼によってベッドから引き摺り出され、引き寄せられた。腰に回った吸血鬼の手は、温んでいて、少し湿っていた。
「ほら、朝日だ!」
 男の手が、部屋の一度も開け放たれたことのないカーテンを開けた。彼女はまぶしさに目を細めた。すきとおるようなあまいにおいを含んだ風が、マシリの頬を擦った。開け放たれた窓から、朝の涼し気な光が、マシリの全身を包み込んだ。
 


「なんだこれ」
 すっかり暗くなった部屋の中は、冷たい空気で充満していた。
 開け放たれた窓の内側で、カーテンがゆっくりと揺れている。外には満月から少し欠けた月が、ぼんやりと薄暗い部屋の中を照らしている。
 屋敷の主人は肌寒い部屋の中へ入って行って、おもわず両手で自身の体を抱きしめた。まったくどういうことだろう。部屋の中を温めもせず、窓を開きっぱなしにしているなんて。いつも女中どもに、この部屋の窓を開けるなとあれほど言い聞かせているのに……
 屋敷の主人は部屋の窓を閉めようとおもって窓辺に近づこうとしたが、障害物に気づいて立ち止まった。そしてその場にかがみこみ、主人はそのやまもりの障害物を、じっと見つめた。
 そこには一山の、ちいさな灰の塊が、うずたかく積もっていた。

 

おわり(2026.01.08)

お前、お前、お前‼ 俺をそんな風に見やがって、の俺と、あなたにそんな風に見てもらえて嬉しい、の自己像から脱するための危険な領域:橋本治『武器よ さらば』感想

 

※いつも以上に憶測と「個人の間違った解釈」で貫き通されている内容なので、話半分で読んでください。だけど読者として現段階で感じたことを残しておこうとおもったので、書きました。

 

 

 私は読者である。そして、たった一冊の本のまえで、読者というのはたったひとりである。
 めのまえに様々な本が並んでいる。それぞれは一冊かもしれないが、その本が世の中という流通に乗るためには、何十人、何百人の人が関わっている。ために、何百人の人間が、好悪は別にして、その一冊の本の存在を強制的でも知っている。それが社会性であり、流通であり、広がりであり、そしてそれこそが「本」というものの存在意義でもありえる、ト。
 つまり、「本」とは世の中に流通し、販売されてしまった時点で、「個人」、つまりプライベートではどうしてもありえなくなってしまうものなのだった。
 もしも本の著者が、本という形を個人の中に押し留めたいと願い、そこへ社会という雑多なものを紛れ込ませたくないと望むのであれば、個人で書き記したなんらかのものを個人で製本し、そしてできあがった本とやらを、自分以外の他人には誰にも読ませないように、部屋の暗い隅にでも立てかけておくが望ましい。しかし、今から私が感想を述べようとおもっているところのその本はそうではなく、流通し、販売され、そして「読者」という、作家とは何の関係もない人間の手にまで及び、そしてその全く作者とは関係のない他人の脳に、その本の中に書かれている内容というものが既にして刻まれてしまったものなのだった。これは長い言い訳だが、というわけで、私はなんにも悪くないんだもん。こういう感想を抱くのは、私が悪いんじゃなくて、この本を書いて、流通させようとおもって、販売して読者というものを想定している「そちら側」が悪いんだもん、というのを、まず今回は逃げ口上としてかかげておきたい。私は悪くないんだからね。多分……

 

 で。

 まず橋本治武器よさらば』の概要。

 

武器よさらば橋本治書簡集 1972‐1989
作家の書簡集というのは、出るんだったら死んでから出る。それが普通ではあるんだけど。掟破りの感動本。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784896670660

 

 発行元の弓立社のホームページがなかったから紀伊国屋のだけど。
 そして本書のまえがきにはこんなことが書かれている。

 

 普通、作家の書簡集というのは、出るんだったら死んでから出る。(中略)書簡集なんかを出しちゃうからしょうがない、私は一時的に死んだふりをするのだが、しかしだからといって、現実の私が書作の段どりに引きずられて死んでしまうようなおめでたい人間であるという訳では全然ない――。(5)


 つまり『武器よさらば』とは橋本さんの書簡集であると。1972年から1989年までの。これ、ほんとに1989年までっていうのがすごいよねー。意識的すぎるというか……
 そしてそのまえがきを読めばみんな分かるとおもうけど、つまりこの本で作者は自分自身(というか、本の中に立ち現れた自己)の生前葬をやっているのだった。そして作者は死んだ後に復活した――となると別のアレになるのであんまりこういうことは言わない方がいいですか。


 往復書簡の妙味というのは確かにあって、私が好きな往復書簡というのは、みっつあります。寺山修司山田太一の往復書簡、室生犀星萩原朔太郎の往復書簡、そして北杜夫辻邦生の往復書簡。辻邦生らの往復書簡なんて、「僕のリーべ。」から始まるんだからね。まったく絵に描いたような旧制高校感だよね。だから、そういう雰囲気を醸し出す往復書簡の類が流通に乗って読者を得ているってことになれば、やっぱりこの『武器よさらば』も、ある種の旧制高校感を残した青年同士の交流のさまを眺むることに読者がある種の共感ないし快楽を窃視する、という作用においては十分に「流通」に値するのではあるが、しかし、この本に載っている「手紙」は一方通行的であり著者本人の手紙のみが延々と載っているだけなので、“往復”には成り得ない。というわけで、往復するところの両者の感情の交差というものを、われわれ読者が追体験できないまま、本の内容はずんずんと進んでいく。


 一体この本はなんなのだろう? どうしてこれほど「個人」でしかない内容が、本として存在し、読者という存在を想定することが可能になるのだろう。というところで読者が参加できない種類のナゾの本なのか? というと多分違って、この本を紐解いた読者がそれぞれに、この本との関係性を探って行けばいいのだろう、であるからして、これから私がここに書くことに、普遍性はない。つまり、現代人の伝家の宝刀を抜くよ。個人の感想です。(つまんないやつ。)


 まあ、はっきし言ってね、ワタシ、この本読みながら泣きそうになっちゃった。なんでかというとほんとに切実だから。恋愛ってほんとに切実。恋愛という言葉が正しくないとしたら、「愛」って、ほんとうに、切実!
 僕はね、フフフ……これは“読者”としてのかなり傲慢で、らんぼうな解釈なんだが、これがどこにも接続しないはずの“読者”としての自由なところだね。読者っていうのは作者に隷属する種類のものではなくて、作者の対岸に城を立てて望遠鏡で対岸の城を観察しているもうひとつの城の主=つまり王様だから。それで王様である読者の私は本書を読みながらこうおもったのだった。「あーあ、こんなのもうフランスの恋愛小説だね」と。
 うーんでも総体としてかなりのフランス文学だよ。舞台をフランスに移して登場人物の名前をちょっといじったらかなりサガンってかんじだね……コレットかもしれないけど……(両者の違いがよく分かっていない)イギリスに移したら、ロレンスかフォースターかってかんじだよ。
 でね、本書を読みながらそういうことを考えて、考えながらこの文章を打って、いまこの本のあとがきを読んでいるんだけど、著者がそのあとがきのなかでこんなことを書いているから笑っちゃった。あー、私という読者はほんとうに、どんな国の王様なのかって、こじつけの国の王様だからね。A=Aだ! というより、A=Cだ! っていう展開の仕方しか知らないからこういうことになるんだけど。

 

 私は別に日記なんかつけてないが、実は大昔に日記をつけてたことがある。そんなもん、私のことだから、“そうやって遊んでる感情の日記”でしかないんだけど。実際のとこは”ロマンチックにしようとして失敗しちゃったノンフィクション“だったけど。「どうして現実(ノンフィクション)は素敵な物語(ロマンス)にならないのか」って焦れて、あまりのヘタクソさ加減に頭来て燃しちゃったけど。(198)

 

 でね、この書簡集でしかないものが、どうして「恋愛小説」になってしまったのかというと、以下のようなことがこの本には書かれているからなの。

 

 こないだ私はあなたに肩をつかまれて「固ァい!」と言われた時に、はっとなったのだった。私は男にしては異様に肩の関節が柔いので、“肩”と“固い”はどうも結びつかないと思っていたのだったが、あれは「がっしりしていて逞しい」という意味な訳でしょ?「あ、そうか」と思って、私はつかの間の幸福になったのだった。(中略)
「逞しきゃいいんでしょ? がっちりしてればいい訳でしょ? じゃァ筋肉質になっちゃうよ。どうせもう、“後はそれだけだ”って思ってたんだし(後略)」(137-138)

 

 そして作者はこの本のあとがきのなかでこう言う。

 

 僕にとってプライバシーというのは、自分が持っているものではなくて、”他人が持っていてくれる自分のある部分なのであって(後略)(206)

 

 しかし人はぼーっとしていると、いつのまにか他人の視線によって「公的な他人」にしたてあげられて、「だから他人は嘘くさく見えたり素敵に見えたりする(197)」ということになり、更には作者によるこういう考え方も出て来る。

 

 俺、ヘンなとこで少女マンガは嫌いだからね。月並みなロマンチシズムなんていうのは、吐き気がするほどいやなのサ。“優しい男色家”だの“きわどい青年”なんてのは、女の生み出した妄想の最たるもんだと思ってる私は真実にしか興味がないの。(134)

 

 まあ、俗っぽくいえば「室生犀星萩原朔太郎の関係性って、素敵だわ♡」ってやつだけど。まあいいじゃんそれでもとおもうけどね。私は。それが嫌なら流通させるなとおもうけど。
 というわけで、“妄想”だけではいわゆる「本」にはならない。で、「本=流通=公」になるためには、ここへ「他人の目」というのがどうしても必要になってくる。そして、それが薄くなってしまうと、時として流通は「本屋のある一角」ということになり、ハーレクイン小説になったり、ボーイズラブ小説になったり、官能小説になったりする。
 そういうとこへ来て、私的に存在するはずの「手紙」が、どうして「本」というパッケージをされて流通し、「読者」を獲得する“目”に至る、あるいは“遭ってしまう”のか。


 人がフィクションを書く時って、①「そうだったらいいのにな」と、②「そうでしかないんだよ」と、③「そうでしかないけれども、そうでないものも望みたい」の三種類に分かれるとおもう。
 そして、読者である「受け手」にもその感覚は広く存在している。その三種類のなかで、一番現実というものに密接している考え方というのが、まあ順当にみれば②であると。
 そして、②でしかない考え方によって映し出される「橋本さん」というのは、例えばこんな風であったりする。

 

 書評見て驚いた。(中略)取り上げたからって、書ける執筆者がいるとも思わなかった。あの文章書いた人って女でしょ?(中略)今度も彼女から手紙もらって、似たようなこと言ってた。「こんなにプライベートなことまで知らされていいんだろうか、なんかこわい。困る」って。(中略)
 俺『恋愛論』書いた時、(略)「ああ、ついに私小説書いちゃったな」と思ったの。俺の場合評論が私小説になっちゃうんだもんね。(略)
 俺に言わせりゃ、アレは私小説になってんだから、誰に何言われたって別にかまわないけどっというのはあるのね。(略)「人が切(ママ)角作品にしてるものを“プライベート”だなんて、作者に失礼じゃない」とかさ。(149-150)

 

 で、作者はあとがきでさらに続けて、こう言うのだった。

 

 書簡集などというものを出したいという話が来て、その瞬間「お前はまだなんか隠していることがあるだろう」と誰かに言われているような気がしたもんだから、私は勝手に「いいよ、別にそんなもんないもの」とひとりごとを言ってしまった結果、このような恥さらしをしてしまったのである。(193)


 さあ、もうここまでくれば分かってきたね。
 つまり、みんなが言うんだよ。「“それ”って、隠さなくてもいいんですか?」って。
 近代的自我を持った由緒正しい伝統にのっとり、それゆえに現代的“アップデート”とやらを経なければ自己を更新できない=まともな現代人として取り扱ってもらえないかもしれないという不安が、近代的自我を得た以降の人々の中には潜在的に存在している、とする。
 ということになると、人々は「公私」という二律背反するものを、別個に考えるようになる。表で見せている仮の”私”と、自分だけのいる部屋の中で、ものすごい恰好をして足の爪を切っている”私”とを。そして、前述したように「こんなにプライベートな部分を見せられていいのかしら?」と不安がる人というものに中には、きっちりとした自己の「公私」があって、その人にとって自分がすっぴん姿で、顔ににきびの薬を塗っている姿を他人に見せるということは、「恥をさらす」=「私(ワタクシ)でしかない自己を公の場に晒す」という行為以外の何ものでもない。だから、それを意識的に公の場に開示して見せようとしている作者のその姿をみて、「なんか、怖い……」と、おもう。なぜかというと、その人にとって、「私」というものは、「公」という完璧な姿を仮取った自分自身の「本当の姿」であるところの裏面、つまり「負い目」でしかないから。

 作者はつづけてあとがきのなかで言う。

 

 前を隠すか隠さないか。別に「見ろ」という趣味もないし、「見られたら困る」という負い目もないし、かといって「羞恥心がない」と言われるのもやだし。一番の問題は、そういうことを考えて「なんかひょっとしたら自分にはそういうことで頭を悩ませなきゃならない“負い目”ってあるのかな?」という状態に立ち至っちゃうこと。(203)


 近代的自我が運んできたところの「公私」という感覚をまっとうに継承した人間にとってみれば、作者の「開示」は、あけすけすぎるように見える。なぜかというと、近代的自我を自然に自身の中に取り込んでいる人からしてみれば、人間というものには必ず公私があって、その「私」というものは公の場には決して乗り込まない種のものであり、隠されているものに違いないと一面的におもっているから。だから、「実は……」と「私」を打ち明けられた、と”勘違い“した読者は、びっくりして、「こっちは何の準備もしてないのに、そんな打ち明け話をされても、(急に距離感を詰められたようで)怖い……」という反応になる。
 しかし、作者は、そういう人が「まあ……」とおもって新鮮に驚いているそれを、「負い目」だとはおもっていない。おもっていないというよりも、これは言葉が強すぎるかもしれないが、「自分の持っているこの感情を、負い目なんて薄暗い言葉で表すのは、失礼だ!」と、おもっているのだった。
 で、その他人が「負い目」……だとして困惑しているそれというのは、たった一文字の言葉でしかない。つまり、あーあ……なんだかごめんなさい、こんなことになってしまって、まあつまり言ってしまうが、それって、「愛」なんですよね。


 だけどその「愛」は、近代的自我が自然に獲得してきたところの、西洋的輸入品でしかない「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」に根ざしただけの「愛」ではない。つまり、異性愛→結婚→出産→育児→老後という順序のなかにおさまるだけの感情でしかないものでは決してないのだ。そして、そのロマンティック・ラブ・イデオロギーに根ざすところの愛というものは、実は、「私」の中には存在していない。それが存在しているのは「公」のなかだけであって、だからこそ「公」のなかにおさまりきれない愛というものは、近代的自我を得た、自分をアップデートしよう! と常に心掛け怯えている、勤勉な人々によって、「LGBTQ+」とかいう「檻」のなかに閉じ込められている。だからこそ、その「檻」のなかに入っている感情(公の愛ではないもの)を見せられた、近代的自我を持っている人々は、「なんだか怖い……」ということになってしまうのだった。根幹が違うから。愛の種類の。
 だがしかし、愛というものは愛でしかなく、そこに種類などは、結局存在していないのだった。


 さらに日本というところの文壇というのはおそろしいところで、なんと「“私”小説」と冠を打ったジャンルというものが存在する。そして、その“私”のなかで、近代的自我を形成するところの黎明期に存在していた男の作家たちというのは、その“私”であるところの自分自身の姿を、どうにかこうにか“公”にするために頑張っていた。つまり、「私」でしかないわたしだけれども、このように「公」になれるほどの立派な感情を有しているのだ。それをこれからご覧に入れます、どうです、私の感情と、そして私の持つ愛というものは、このようにして公の場にふさわしいほどにデコレーションできるものなのですよ。物語になりうるもの=読者という広場を獲得できるものなのですよ、ということになって、「私」でしかないものが、「公」の流通を経て、商品としてわれわれ読者のめのまえまでに運ばれるようになる。


 しかしその反面で、彼、この本の作者=ハシモトさんはそれら「愛」の可能性をつぶしていく。「公的な他人」として一方的に愛される/愛すのは嫌だ。近代的自我に則って、私小説的な「暴き」によって愛の形を「私」としての「公」によって示すのも嫌だ。で、そういう作者の「愛の場所」っていうのは、隠すもの=私でもなく、近代的自我によって妄想の集合体として具現化したもの=公でもなく、それは他人の視線のなかにある。しかも、その他人というのは「どうでもいい他人」じゃない。好きな人の目に映っている自分自身。自分一人だけではとうてい覗き見ることのできない「自分」。そして、ここにとどまっていることが出来ればそれは素敵な恋愛小説で、だけどこの本はやっぱり恋愛小説なんかじゃなくて、そういう愛の中に浸っているうちに、闇から忍び寄って来たものを「殺す」ために存在している棺桶だから、すごく憶測でいうけど、この本が1989年までに書かれた書簡を扱っているというのに、私はすごく何かを感じる。つまり、うーん……なんていうのかな、『蓮と刀』的な啓蒙は、もういいと。自分の「こうしたい!」にブレーキ=理性を掛けることが愛情なんだ、言葉によって、言葉を武器にすることによって、他人を何かに仕立て上げようとしていたかもしれない……そんな過去の自分は、みんな馬鹿だったって。だから私、この本のタイトル、『武器よこんにちは』ではないのか? とかおもう。「武器」の意味が「理性」なんだとしたら、「さらば=さようなら」なのかもしれないけど、大島弓子の『さようなら女たち』に倣ってさ。(あー、こんな「分かっている風の分かっていないこと」を言い続けたら橋本さんに益々「バーカ」って言われてしまう……)

 

 私はこの本嫌いだよ。だってここにいる自分の九割は嫌いだもの。(略)バカだとおもうもの。「なんでお前はこんなことしなくちゃいけないの?」と思うもの。バカ丸出しとか。ここにあるものを必要としてる人なんてのがいたとしたら、はっきり言うけど、バカだと思う。ここにあるのはただの無意味な過去だと思う。僕がこういうものを公刊してしまうことに理由があるんだとしたら、それは「今までの自分を撲殺したいから」っていう、それだけのことだもの。(210)

 

 あー、もうバカって言われてたね。私。私はなーんにも悪くないんだからねっ。(全部お前が悪いんだよ)
 昔、どこかの作家か誰かが、「作家なんてものは大通りで全裸で道に横たわるくらいの羞恥心をおしてなるもんだ」的なことを書いていて、素直な僕なんかは「はーそんなもんか」とおもっていたが、橋本さんって、そうやって大通りに裸で寝転んで、でもあとで「あれって裸のようだけど一枚肌色の肌着着てたの分かった?」ってなもんだね。みんなのためだとおもっていた鎧も、武器も、自分の為だとおもっていた鎧も、武器も、捨てちゃうと、つまり生前葬して、それまでの自分と『さようなら女たち』をしちゃうと、次に目指すものが見えて来ていいんじゃないかな? という、明るく、未来志向のいい本だとおもいます。私は。

 

 というところで私はすれすれに終わりたいとおもう。間違っている話を延々としてしまって、すみませんでした。
 おわり。2025.12.14

 

美しいものは単純で簡単だ:橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(2002)感想

 


 今回はかなり短いぞぉ!(文字数が)
 というわけでタイトルに則って短くいくが、そのまえに橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(2002)の概要ね。

 

人はなぜ、「美しい」ということがわかるのだろうか?自然を見て、人の立ち居振舞いを見て、それをなぜ「美しい」と感じるのだろうか?脳科学発達心理学、美術史学など各種の学問的アプローチはさまざまに試みられるであろう。だが、もっと単純に、人として生きる生活レベルから「審美学」に斬り込むことはできないだろうか?源氏物語はじめ多くの日本の古典文学に、また日本美術に造詣の深い、活字の鉄人による「美」をめぐる人生論。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480059772/

 

 まあいつもながらあいまいな紹介の仕方であるが、とにかく出版社的にはこの本は人生論の一種であると。まあそういう内容の本らしいです。
 で、ひとが「うつくしい」と感じるものには、おおまかにいって三種類ある。


①自分だけが「かっこいい」「かわいい」とおもう利己的なもの
②他人と共有することによって改めて感じられる再認識によるもの
③このめのまえにあるものの状態をもしも自分の身にひきうけることができればどんなにいいかとおもわれるようなもの


 もしかしたら私が読み落としているものもこの本には書かれているかもしれないけど、人が美しいとおもうものって、大体この三種類みたいですね。
 そしてこの文章を短くするために結論を急ぎますが、私はこの三つの体験を、いままでにしてます。


 まず①、自分だけが「かっこいい」「かわいい」とおもう利己的なもの
 他人がとなりにいる。そして、私と同じものを見ている。私はその視界に映ったものを「かっこいい!」と、言う。するととなりにいた他人がいう。「はあ? これのどこがかっこいいの」
 私はこれを“廃墟”でやっている。旅行に出掛けていて、そこで崩れかけて放置されている廃ホテルが目に映った。廃ホテルのまえには大きなゴミ袋がいくつもいくつも並んでいて、そのまま放置されている。それを見て、私はおもった、「うわー、カッコいい!!」その時の私は、かなり興奮していた。そのような「カッコいい」景色に出会えたことに感謝していたし、感動していたし、その放置に至ったところの歴史に思いをはせていたし、そしてその光景すべて(放置されている廃ホテル、摘みあがったゴミ袋の山)を、うつくしいとおもっていた。だけど、「うつくしい!」なんて言葉は私の日常使いの語彙のなかにはなかったので、「かっこいい!」と言ったのだった。でもその私の「かっこいい」という発言を聞いたとなりのひとは、「何がかっこいいの?」と言って大笑いしていた。


 ②他人と共有することによって改めて感じられる再認識によるもの
 まず、再認識ということは、はじめはそんなものを「うつくしい」となんておもっていないのである。そこに存在しているが、ただ存在しているだけのもの。
 この本の中で橋本さんは、それを行った他者の姿を観察している。その他者はそれまで「うつくしい」なんてものは知らなかったに違いないのに、あるきっかけを境にして、「うつくしい」ということが“分かって”しまった。
 で、そのきっかけというものはどういうものかというと、まあその具体的な「できごと」は各々が本書を読むことによって確認してもらうことにして、たとえていうのなら他者からの好意的な働きかけ、つまり、「あなたのこと嫌いじゃないよ」と好意を打ち明けられたり、感じたりした瞬間のあとの、夜明けのコーヒーを飲みながらベランダで朝焼けをひとり見ている、というようなもんであると。
 まあそんな経験は私にはないので(でも、好きな人と一晩を過ごして、その次の日の朝焼けをひとりでじっと見ている、部屋に戻れば自分の好きな人がまだベッドでねむっている、その時の朝焼けのうつくしさ、みたいなもんは、体験しなくてもなんとなく実感としてうつくしいものだと分かるんじゃないかな)、それと似たような経験と言えばそれは、こどもといっしょに見た夕焼けである、と。
 私自身はこどもを持たないので(あー、こどもって言葉恥ずかしい。ちびとかどもこって言いたい。こども=どもこ)、それは親戚の家のちいさな人間のことであるが、私はその日こもりを命じられて、そのちびと夕方の散歩をしていた。
 私は親戚の中で一番の暇人で一番なんのしがらみも持たない人なのでよくこもりを命じられてそれに従っているが、それを続けているせいでちびたちは私のことを嫌いではないとおもっている。そして、わたしもちびたちのことはきらいでないので、ちびたちと散歩するのも嫌いなことではない。
 ちびたちというのは、好意を持っている他人といっしょにいるときに、自分の話をよくする。学校でこういうひとがいるとか、先生にこんなことを言われたとか、どういうものが好きでどういうものが嫌いかとか。私はただその話を聞きながら歩いている。それで、すごいじゃーんとかいいなーとか相槌を打っていると、ちびたちは楽しそうにする。それで、その“楽しそう”が私の中にも伝染して、別にものすごく楽しいことをしているわけでもないのに、こっちも楽しい気分になってくる。
 そういうときに見る夕焼けって、ものすごく、なんだか異常にきれいなのだ。
 ひとりで歩いている時には決して目を向けないものにも、ちびたちはすぐに反応する。落ちているどんぐりとか、道に開いているナゾの穴とかをいちいち気にして、立ち止まるので、私もそれに倣って立ち止まる。そして、ちびたちが持っているどんぐりとか、道に咲いている花とかが、なんか、めっちゃいいな、と感じる。この場合は“かっこいい”のではない。なんだかとっても、“めっちゃ良い”のだ。
 夕焼けというものは基本的には美しいものと決まっているが、それが日常的なものになってしまえば、ただの現象に過ぎない。車に乗っていればただ眩しいだけだし、サングラスを必要とするくらいの“じゃまもの”にも成り下がるが、好意を持っている同士が散歩している夕方の散歩道に明かりを落としているその夕焼けは、とんでもないくらいに美しいものに成り上がってしまう。そういうものなのだ。


 そして最後、③。このめのまえにあるものの状態をもしも自分の身にひきうけることができればどんなにいいかとおもわれるようなもの。
 この③に関しての私の体験は書いても書かなくてもどうでもいいが、でも別に読んで面白いようなエピソードでもないので、割愛。で、橋本さんのばあい、それは小学校入学前に見た、「水仙の芽」だったという。そして橋本さんはそれを目にして、こういうことをおもう。

 

 私はそれ(引用註:水仙の芽)を「美しい」と思い、どういうわけだか唐突に、「これが自分だったらいいな」と思いました。どうしてだか分かりません。それを「きれい」と思うことと、「これが自分だったらいいな」と思うことが、いとも簡単に一つになってしまうのです。(214-215)

 

 ①→②→③の順序によって「うつくしさ」のありさまをこうして見てきたことによって分かるものとは何か。
 「うつくしい」には段階がある。つまり、利己的なうつくしさ(自分だけがかっこいいとおもうもの、自分だけで価値を作れる「美」)、さらに共有することによって増幅する日常の再発見(好きな人と一緒に観る夕焼けは美しい)、そして、他者が持っている「決然とし、完結している状態」を、カオスでしかない自分の半身に引き入れたいと欲する欲求。
 つまり、「うつくしさ」とは、人と人(乃至、モノ、存在)との関係性の中にしか存在できない。だからこそ人間という「関係性」というもののなかで生きている、決して孤独には成り得ない生き物は、他者と他者を結びつけるものとして、「うつくしい」という状態を発見したり、作り出したり、共有したりして、過ごしている、と。
 で、「うつくしいもの」って、それだけで自立しているのである。自立という言葉が適切でないのだとしたら、その「美しさ」を観察しているものどもにとって、「美しい」の所有者というものは、独立しているように、「見える」。
 だからこそ、それと「同一化」したいと願うこころが自立の自の字も存在しない自分に生まれ出づるようなことがあるのは、自分という存在の「孤独」という状態を、「自立」の文字で書き替えたい! という欲求が生じるためだ。醜くて、孤独でしかない僕が見つめる、美しくて、自立しているようなもの。われわれの大半は、美しくも無ければ、たったひとりで完全に自立しているとは言い難い。ただひとりうつくしく生まれ、うつくしく自立している“ようにみえるもの”と同化したいと望むとき、われわれはわれわれのなかに「うつくしい」を引き入れる。しかし、その同化は容易には行われないだろう。だからこそ、われわれはつねに自己とは別の「外部」としての美を求め続ける。そして、その「同化」は達成されないでも良いのだ。だって人間なんて、別にうつくしくなる必要なんてないんだもん。


 というわけで、この本を読み終わった私にとって、「うつくしい」というものは、放置されているものであり、それ一個で独立しているものであり、そして、拾い上げるものだ。
 最後にちょっとかっこいい話をしてしまうが(かっこいい=利己だぞ!)、私が個人的に「あれはうつくしいできごとだったな」という経験をひとつ。
 いまから十二年くらいまえ、上野の動物園に行きたい! とおもってひとりでふらふらと動物園に出掛け、きりんとかかばとかぞうをふらふらと見つめ、「ゴリラが見たい!」とおもってゴリラを見に行ったがその日はゴリラ不在の日で、なんだよーとおもいながらふらふらと動物園を出たら、上野の美術館にダ・ヴィンチが来ているらしい、ということで、私はふらふらと美術館に入って行った。
 ダ・ヴィンチの絵は二三点しかなく、そのほかはダ・ヴィンチと同世代の作家による洗礼者ヨハネ像なんかが飾ってある程度で、まあそんなもんかというような展示内容だった。
 ダ・ヴィンチの絵は、御大層な、あまりにも御大層な金ぴかの額に飾られて、ライトなんかで照らされたりしていて、甚だ厳かな様子だったが、その当時の私には別に何でもどうでもなかった。うつくしいともおもわなかったし、すばらしいともおもわなかった。「御大層だな」とおもっただけだった。
 私は先に進んだ。そして、その御大層な絵から少し離れた場所に、その絵はぽつんと掛かっていた。
 その絵は御大層なダ・ヴィンチの金ぴかな額縁などでは彩られていず、そまつな木枠かなんかのなかで、透明なケースに入れられてもいず、そのままの裸の姿を美術館の空気の中に晒していた。
 それはダ・ヴィンチと同世代の無名の画家(まあ、無名というか、多分ジャン・ジャコモ・カプロッティというひとの絵)の描いた、洗礼者ヨハネ像だった。そして私はその絵のまえで立ち尽くした。良い絵だ。なんだかとっても、ものすごく、きれいで、うつくしくて、幸福な絵だ。
 私はまばらに人の行き交う中で、その絵だけをずっと見ていた。そうやってじっと見ていたら、気付いた。絵が傷ついている。透明なひっかき傷みたいなものが、洗礼者ヨハネの目の下あたりについてしまっている。そして私はおもった、あーあ、ダ・ヴィンチとおんなじ洗礼者ヨハネを描いていて、ダ・ヴィンチの絵は御大層な額とケースに守られて傷一つついていないというのに(そのダ・ヴィンチの絵は洗礼者ヨハネの絵ではなかったが)、この落差は何かね、なんでこっちの絵はこんなに粗雑に扱われなきゃならんのかね、などと。
 そうおもいながらもぼーっとその絵を見続けていると、となりで私と同じ絵を見ていた男女が話しているのが聞こえた。
 その男女は、こんな会話をしていた。
「この絵、目の下あたりに傷がついてるよ」
「本当だ」
「なんか、泣いているみたいだね」


 どうだ、カッコいいだろう。(どうだ明るくなったろう)
 私はそのすべての状況のことを、いまでも「うつくしい」とおもう。美しく飾られたダ・ヴィンチの絵、粗雑に扱われて”泣いているみたいだ“と言われた無名の作家の描いた”洗礼者ヨハネ“の絵。そしてそれをぼんやりと見ているしかない私も、ぜんぶひっくるめて、美しいおもいでだったな、とおもう。
 だから私がこの世で一番美しいとおもうものってこれですね。「咲いてから枯れるまで誰にも見つからずにアルプスの高原で咲いて枯れる花」わー、ロマンチック。(利己、利己)
 つまり、美とは発見であり、放置であり、そしてすでにして存在しているものなのですよ、明智くん♪
 おしまいっ。2025.12.08

 

細野晴臣の客層と大滝詠一の客層は被っているのかいないのか

 


 私は両者の完璧かつていねいなリスナーではないため、この文章は完全に完璧なものを目指せないわけでありまして、というのもわたしは好きになったものを網羅的に追っていくのが大変に“嫌い”で、老後のために「知らない部分」をとっておくというたいへんさもしい嗜好品摂取の方法をとっているため、色々的外れなことを言ってしまうかもしれないが、ナイアガラ―ならびにチョップアンドチャンプsoundの愛好家のみなさまごめんなさいでした。


  で、のっけからゾクな入りで大変恐縮ではあるが、細野さんってつねに美人系(?)の妙齢のおねいさんたちにモテている、というか、つねにそのような層から支持を受けている感がある。しかも、70年代からずーっと。今現在においても。どれだけ時代を重ねても、どうしてもある年齢層の女性のこころを掴み続けるそのsoundづくりに……誰かもう迫っているよね。はい。


 対して御大というのはどういう層に“モテて”いるのかというのはあんまりよく分からなくて、私もフィーリングでしゃべっているだけなのでなんの根拠もないのであるが、しかし御大の音楽というのは得てして、ロンバケ以前/以後というのにどうしても分けられてしまう、ために、リスナーの層がそれ以前と以後では全く違っている。強いて言うのなら「ロンバケ以後、大滝はダメになった」派と、「ロンバケ以後しか知らない」派と、「ロンバケ以前も以後も好きだ」派がいるんじゃないかな。もちろんボクはロンバケ以後の赤ちゃん”ポロロッカ”リスナーですが。


 で、私は細野さんも大滝さんも好きだけれども、やっぱりどちらかというと大滝派(?)で、だけど両方のソロであり原点であるところの『大瀧詠一』と『HOSONO HOUSE』だったら0.01の差で後者の方がよく聴いているんじゃないかというような……いや、やっぱりな~両方良いんだよね良いのベクトルが違うからそもそも比べられないんだよね~……
 私は常に、常に常に、対照者が存在する存在が好きだ。細野晴臣大滝詠一とか、三村マサカズ大竹一樹とか、ゴン=フリークスキルア=ゾルディックとか、ドストエフスキートルストイとか、カントとニーチェとか、そういう相反するからこそなんとなく惹かれ合っているみたいな(カントとニーチェは別に惹かれ合ってはいないだろうが……)存在が好きなのです。
 だから、両方のことを知りたい! のである。大滝詠一だけじゃ大滝詠一の音楽って完成しないんだよね(ぼ、暴論)。細野さんという存在があって大滝さんという存在があったとおもうから。細野さんの方はどうかわからないけど。でもなんかそうなんだよね。トルストイの存在があったからこそドストエフスキーが存在したように(そうなの?)、三村マサカズの存在があるからこそ大竹さんが公の場所で輝けるというかさ……とにかくそういうのがあるんだよ。くわしく説明してもいいけど長くなるしあんまり趣旨と関係ないのでやめるね。


 で、細野さんと大滝さんの話なんだけど、細野さんの音楽って最初からずっと洗練されているんだよね。その洗練こそがおしゃれであって、そういう場所に反応するっていうのは聴き手として当然のことだと思うし、私が細野さんの音楽のどこがすきかってやっぱり「最高」を打ち出したあとに、「この次はモアベターよっ!!」ってこっちに走って戻ってきてくれるところがほんとに好きなんだよね。だってさあ、普通に考えて、あの『はらいそ』以上の音楽ってめったにあるもんでもないじゃん。それなのにさあ、そっからモアベターを目指すのを当然にしてるみたいな人って……最高以外のなにものでもないですよね。……ね。(念押し)常に前を見ていて、後ろを振り返らない。あのね、陶芸家に八木一夫って人が居てね、その人が言っているの。彼はオブジェ焼きというのを焼いているんだけども、焼いたらそれで終わりなんだって。もう焼き終わったらその「作品」はどうでもいいんだって。なーんでか? というと、作品を作り終わった時点で、自分がこういったものを作りたかったというのが分かったから、もういい、んだって。私はそれをテレビで見たときに感動してねえ……細野さんにもそういう傾向があるとおもったな。終わった作品はもうどうでもいいとまではおもってないだろうけど、もちろん、でも彼がチョップアンドチャンプsoundの雄としてさまざまなジャンルの音楽に関わり続けるそのさまは、やっぱりかなりうつくしい。細野さんって生命体として、かなりうつくしいんだよね。いやほんとに。


 で、翻ってわれらが大滝は、となると八木一夫イズムとは全く違って、僕はそういうところが逆に大滝さんの好きなところなんだけど、ほんとに、大滝さんって色々なものを大切にしているとおもうんですよね。自分の好きなものとか、自分の作った曲とか、それに自分のファンをね。
 私は実は、お他人様がエアチェックしてくれた『GO! GO! NIAGARA』を聴きながら(あー、ほんとにごめんなさい)夜ねむりにつくというのをよくしてしまうのですが、その中で大滝さんが、「あのねえ、どうでしょう? この放送が聴けない地域の人もいるとおもうから、もしよかったら、空のテープを送ってくれればね、第何回放送分って僕が(ラジオの内容を)吹き込んでお渡しするというのもおもしろいとおもうんですけど……」などとおっしゃっているのを聞いた時にね、もうなんかねー……私は大滝さんのこと一生好きなんだろうなっておもったんだよね。そこまでファンおもいのディスクジョッキーって……この世に存在するかね?


 どんどん話が今回の主題からずれていくんだけど、まあとにかく私が言いたいのは、細野晴臣帰納的な音楽家であって、大滝詠一は演繹的な音楽家であると。でね~もしよかったら細野晴臣リスナーで、大滝詠一ノータッチってひとがいたら、ぜひ……大滝詠一も聴いてほしいなって話なんだよね。『ロンバケ』からでいいから。でもだめだなー、『ロンバケ』=大滝詠一ってなったら、『ナイアガラ音頭』まで行ってくれないもん、きっと。大滝詠一の真骨頂って『ナイアガラ音頭』だとおもうんだけど駄目? あんな洒脱な音頭ってないとおもうんだけど……洒脱なんだよ、『ナイアガラ音頭』はおしゃれなんだからあ!! まあ他人が何を聴こうが聴くまいがなんでもいいんだけどね。ほんとに。


 ところで私はあの『ナイアガラ音頭』の生みの親であるところの「くりーむそーだ水」さんは女性だとおもっているんだけど違うのかね? どっちでも素晴らしい? そうだね。
(あとねえこれは完全に余談ですけどえねえちけえでの大滝特集の最後にりんご置いたのゆるしてないからね。あれなんのつもりなの? ビートルズって意味? それならいいけど違うでしょっ)2025.12.07

彼は誰の何を騙していたのか:NHK「ベルトラッキ贋作事件~世界をだました希代の詐欺師~」を見た

 


 見たぜ、2025年11月14日(金)日放送、未解決事件File.07「ベルトラッキ贋作事件~世界をだました希代の詐欺師~」
 この特集を見て私がおもったのはひとつ。「贋作」を意図的に作った彼が騙したものとは何だったのか。

 

 番組の概要。

 

 世界のコレクターが買い求め、名だたる美術館が展示していた絵画は偽物だった。
 それらの作品を描いたのは、“希代の贋作師”とも称されたドイツ出身のヴォルフガング・ベルトラッキ氏。約40億円の被害が発生した巨額詐欺事件。
 しかし、その贋作の一部はいまだ発見されていない。今も世界のどこかで展示され、あるいは売買されている可能性があるというのだ。

「未解決事件」がその行方に迫る。(https://www.nhk.jp/g/ts/57615R8KYY/blog/bl/pB78PQRjnA/bp/p8Aa6nnjV8/

 

 ベルトラッキという人がどんな贋作を主にしてやっていたのかというと、過去に描かれ存在したはずではあるが今現在は行方不明になっている、所在不明の絵というのを専門にしていたそうだ。
 たとえば、カンペンドンクという画家が1919年に描いたとされる『少女と白鳥』という絵。大きさ、所在はわからず、写真もない。そこで、ベルトラッキという人は、こう考える。

 

 そこで私は思ったんだ
 「よし いい”空白”だ。やってみよう」

 (※以下引用は番組の内容に依る)

 

 過去に確かに存在していたはずだが、今現在を生きる人々が誰も知らない絵。そんな絵を、本当の画家の現存する絵のタッチを模倣して”想像”し、”創造”する。完成した絵には自分の名前ではなく、その画家本人のサインを書く。そして、それを”所在不明の絵を新発見した”という体で、売りさばく。その結果、被害総額は何十億円にものぼったらしい。

 

 彼(引用註:カンペンドンク)が過ごした町で しばらく暮らし
 住んでいた家にも行った
 彼が見ていたものを想像するために

 私が描くのはコピーではない
 新しい絵を生み出すんだ

 

 では、なぜ多くの人々がその”贋作”を”本物”だと信じたのか。
 彼らの作戦は以下のようなものだった。実在するある画商から、ベルトラッキというひとの妻の祖父が、貴重なコレクションを譲り受けていたという物語を作り、更にその画商の顔を模したラベルを絵の裏側に貼りつける。そのラベルにはドイツ語で「コレクション」の文字を入れておく。そして、そのように作られた贋作を、クリスティーズ(競売会社)はあっさりと信じてしまった。あまり知られていない画家の作品だったために、鑑定家たちも真贋の判断が難しかった、らしい。

 

 そして、日本の美術館でも複数の被害に遭ってしまった、と。前述したカンペンドンクの『少女と白鳥』は、”新発見”と解釈されて、日本の某美術館が購入を決断し、その絵は美術館に展示され続けた。

 

 ベルトラッキというひとは、そして映像で自慢気にこう言っている。

 

 1980年代の終わり
 日本人の熱狂ぶりは異様で 絵画を買いあさっていた
 私にはパリにディーラーがいて
 私が描いた贋作のほとんどを日本人に売っていたんだ

 

 そしてまた別の日本の美術館でも、ベルトラッキという人の描いた贋作が見つかった。
 キスリングの、『モンパルナスのキキ』という作品。
 番組のなかで、ギャラリーの担当者が、ベルトラッキという人とビデオ通話をする。
 ベルトラッキというひとは、その通話で、こんなことを言う。

 

 贋作だと分かってがっかりされているのは分かります
 でも気にすることはないですよ
 何十年もの間 名だたる鑑定士が 私の絵を本物だと信じていたわけですから(中略)
 私にとっては その作品(引用註:贋作の『モンパルナスのキキ』)は
 今もキスリングの作品なのです
 だって私が彼になりきって
 描いたのですから
 本来の画家よりも遥かに価値が高いんですよ
 私の贋作には100万ユーロ以上の値がつくものだってあるんですから

 

  ベルトラッキという人の父親は、売れない絵描きだった。彼の父親の絵は買い叩かれ、画家として大成することはなかったという。そして、ベルトラッキという人は言う。

 

 美術における本物とは 画家の名前によってつくられるものではありません
 絵を買うのは教会に通うのに似ている
 信じるか どうかだ


 絵画コレクターはそのコレクションの中にたとえ贋作が含まれているという事実があったとしても、その事実を認めたがらない。なぜかというと、贋作をひとつでも集めたと他人に知られれば、コレクション全体が”汚染”されていると思われるかもしれないから。だから、コレクションの中の絵が「贋絵」だと判明しても、それを認めたがらない持ち主も多くいるという。

 

 結局、ベルトラッキの起こした贋作事件の被害総額は甚大なものになったが、そのほとんどが罪になるようなことはなく(発覚が遅く、犯行からすでに十年が経ち時効が成立していたらしい)、罪に問われたのは膨大な贋作の中から14点のみが対象となっただけで、懲役六年(実際は約三年)が課せられただけだった。しかし彼自身はなんら贋作行為に罪を感じていないらしく、地元では講演会に呼ばれるほどの人気者らしい。

 

 というわけで、概要の説明は終わり。(こんなに内容を書いちゃったらだめなのかな? だめだったら消すよ)


 で、ここからが今回の主題。「ベルトラッキというひとは誰の何を騙していたのか」
 まともに考えれば、社会的信頼とか、道徳とか、そのもの絵画の価値詐称であったりするだろう。
 贋金を作ることが他の人間を欺くことだとすれば、贋絵を作ることもまた、他の人間を欺くことに等しい。
 だが、果たしてそうだろうか。
 私が一番衝撃を受けたのは、番組最後に流れた複数の「比較画像」だった。
 そこには、本物の画家の描いた絵と、ベルトラッキという人の作った贋作の絵が並べられていた。
 その絵の対比が、あんまりにも鮮やかなのだ。
 ベルトラッキという人の描いた絵は、本物の画家の絵とは似ても似つかない。というよりも、ひどすぎる。
 ベルトラッキという人の描いた絵のみを見ていると、「まあこんなもんか」とおもうような絵でも、本物の画家の絵と並べられると、その絵の良し悪しは歴然としている。
 彼の描いた絵は、線はぼやけているし、絵の具の塗り方も悪趣味だ。ただ画用紙にべた描きしたようなマチエールに、立体感のない体。
 それよりもなによりも、一体何なんだこの色使いは!?
 その比較画像を見たひとは、「どうしてこんな悪趣味なものを本物と信じることができたんだろう?」とおもうはずだ。それほどベルトラッキという人の描いた絵は、はっきりいって、ぜんぜん、上手くない。
 しかしそれはもちろん、われわれがベルトラッキという人が贋作家と知ってからその比較画像を見ているからである、ともいえる。例えば私が、ベルトラッキなどという人の名前も知らない美術館の学芸員だったとする。そして、ベルトラッキという人の描いた贋絵のみを鑑賞し、更にその絵には確実な権威からのお墨付きがあり、しかもその「新発見」だという絵画を、自身の管轄する美術館に所蔵できるという”名誉”が転がり込んで来たのだとしたら……そこに差し出されている「絵画」に、疑いを差し挟む”必要”が、果たしてあるだろうか。

 

 騙されているのは誰か。
 「絵の価値」とは、そもそも何なのか。

 

 われわれはなぜ、美術館に「絵」を観に行くために、わざわざ足を運ぶのか。交通費を支払い、ただカンバスや和紙に描かれただけの色や形の集合体を「観る」ということに価値を見出し、それに対して対価を払うことを不思議ともおもわないのか。
 それ自体に、民衆が価値を付与したからだ。
 ただ、めのまえに飾られている絵を観るだけのことに、なぜ金を払わなければならないのか。それを行うことが、社会的常道としてまかり通ってきたという過去があるからだ。そして、そのようなことを行うことに、ある一定の人々が価値を見出してきた、からこそ、われわれ現代人はその価値を”価値”として踏襲し、今に至っているのではないか。
 しかし、それは一観客としての価値であり、絵の購入者にとっての価値はまた違ってくる。
 もちろん、「好きな絵」だからこそその絵を購入する、という購入者も存在して当然ではあるが、しかし現代において、絵画というものは投資目的に売り買いされるものであり、自らの権威の底上げに寄与するものでもありえる。だからこそ、コレクションのなかに”贋作”が混じっているなどということを認めれば、その途端審美眼のなさが世間的に露見し、そのコレクターの”権威”が失墜してしまう。
 では、なぜ人は高価だとされる絵画を買い漁るのか。
 国としては、有名な画家の絵を所有する一級国だと認められたい。
 美術館としては、価値ある絵を所有する権威ある美術館を作りたい。
 個人としては、資産として、有名で高価な絵を複数所有する洗練された人間でありたい。

 

 そして、そこにある価値基準はたったひとつだ。「他人が良いと言っているのだから、良いものなのだろう」、「他人が高価なものだと言っているのだから、高価であって当然なのだろう」つまり、自分の判断というものが、まったく奪われてしまっているのだ。

 

 そして、この「自己判断」というものは、購入者だけではなく、なんと創造者にまで及んでいる。もちろんここでの創造者というのはベルトラッキというひとのことで、まあ語るに落ちているのではあるが、ベルトラッキという人は番組のインタビューでしきりに「みんなが素晴らしい絵だと認めてくれた」とか「おれの絵は何百万ユーロの価値がある」とか言う。評価の基準が、「大衆」と「金」なのである。
 しかし、この「病魔」は、なにもこの気の毒な贋作者の体のみに巣食っている現象ではない。現代を生きるわれわれ一人ひとりのなかに、確実に巣食っている現象ではないのか。
 みんなが評価しているんだから、良いものなのだろう。こんなに値段の張るものなんだから、高価であって当たり前なんだろう。
 批判の心を作る前に、めのまえにある状態を飲み込んでしまう。そして、だれかひとりがその違和感に気づいて発言、行動すると、今度は雨後の竹の子のように、「本当は私もそうおもっていた」とか、「実はモヤモヤしていた」とか、言い出す。
 何が「騙されて」いたんだ? こんなものは、騙す以前の問題だ。
 要するにわれわれにとって、「絵」などというものは、神妙な美術館の神妙な照明の中で、神妙な額縁のなかに飾られて、神妙なキャプションがついていれば、何だって構わないのである。「権威」が「良い」と言っているのだから、それでいいのであって、「みんな」が「良い」としているのだからそれでいいのであって、だからこそお金を払う価値があり、その行為自体に価値を見出すことができるのであり……

 

 まあでも実際に、たとえば私が美術館の絵画購入責任者で、「これ、新発見の絵なんですよ」などと「権威」から言われて、「美術館の権威向上のために絶対買うように」とか上から言われて、それによって自分の地位も向上しますなどということになればもはやそれは「絵画」ではなく「1UPキノコ」(?)みたいなもんだから、絶対取る、ってことになるだろうけど。
 「芸術」が「目的」じゃなくて「手段」になったら終わりだけど、だったらもう「芸術」なんてものは終わってるし、もう終わってしまったものだから、騙す騙されるとかの問題じゃないんだよね、結局。


 どうやら彼は、自分の描いた絵に満足しているようだ。自らの描いたものが芸術に成りえている、と。
 けれど、もしも彼が本当にそんなことを考えているのだとしたら、私は、彼のことを本当に気の毒に感じる。
 彼は彼が”贋金づくり”した絵と、そのモデルとなった画家の絵を見比べて、落ち込んだりしないのだろうか。
 
 彼の父親が、どんな気持ちで「売れない絵」を描いていたかは知らない。そして彼の父が、自分の絵に対してどんな評価を持っていたのかも知らない。
 だけどベルトラッキというひとは、自分の絵(贋絵)に自信を持っていて、そしてそれを、「本物の作品以上」だと信じている。
 しかし、その自信はどこから発生しているのかといえば、それは「他者評価」からだ。
 彼はもう少し、自分の絵を自分自身で見つめる時間を作った方がいいと思う。
 他人が良いって言ったから、とか、お金になったから、とかじゃなくて。
 鰯の頭も信心からというが、やっぱり鰯の頭を信奉したまま死んでいくって、「芸術」を志した意味がないじゃん。

 

 おわり。2025.11.25
 
 

好きな言葉の話

 

 

 私の好きな言葉。それはなんといっても、「みがきにしん」にとどめを刺しますね。
 これはほんと、十年くらい好きです。
 「たく」という言葉(?二文字?)も好きです。「たくま」とか、「みたく」(みたく、の発音のかわいらしさと字面のかわいらしさは計り知れないとおもいません?)とか。「ぎょたく」の”たく”もいいとおもうし、「したく」なんかもいいんじゃないかな。あ、じゃあ「なたく」なんかも、イイね。(哪吒)だが、「おたく」はかわいくない。ダメ。
 「うじきつよし」という言葉も好きです。響きが好きなのです。同時に、「くめたこうじ」と「いぶせますじ」という言葉(人名)も好きです。ぜひこの三人の名前を、一気呵成に口にしてみて下さい、気持ちいいから!
「みがきにしん」と「うじきつよし」と「くめたこうじ」と「いぶせますじ」に通じるもの。それは、三で割れる、ということです。

 

 実践してみましょう。
「みが・きに・しん」
「うじ・きつ・よし」
「くめ・たこ・うじ」
 ただここで、「いぶせますじ」だけはどうも違って、私の感覚で行くと、
「いぶせま・すじ」なのです。切るところが。
 ナニを言っているか分からない?
 つまり、口に出して気持ちいいのは、どの区切り方なのか、ということになると、「いぶ・せま・すじ」ではなく、「いぶせま・すじ」の方が気持ちいい、というだけの話です。

 

 しかし、これがすべて漢字になってしまうと、”感じ”をたちまちに失ってしまう。

 

「身欠きにしん」
久米田康治
井伏鱒二

 

 ね? 普通でしょ?
 その点、うじきつよしはエラい。だって芸名がそのままひらがななんだもん。
 余談だが「鶴田浩二」という名前も勿論好きです。(「つるたこうじ」)
 どうも六文字で三つに割れる言葉が好きみたい。
 谷山浩子『悪魔祓いの浩子さん』を読んでいたら、浩子さんが好きな言葉の話を書いていたので、まねして書いてみました。
 ちなみに浩子さんは「たばことみかん」という言葉が好きだそうです。
 これは七文字だね。
 おわり。25.11.23