まあ、他人がどう思っているかは、知らないけども、世の中には確実に、煙草喫みと、酒飲みの文章というものがある、と。
もちろん両党という人もあろうし「酒や煙草なんて税金を飲んでいるようなもの」とするひとがいても、一向に構わない、というところに来て、今現在の私という書き手はまたしても酔っ払っていて、その酔いをガソリンにしてこのような益体も無いものを書いているんであるが、酔っ払いに付き合わせてすみませんね。でもねーもうねー飲んでないとねー辛くてね色々…
この小文で私が発言したいことは少ない。がしかし言いたいのは、これである。
吉田秀和は下戸だった。
吉田秀和というあの名文家は、下戸なんである。これは吉田さんが集英社から出ている本で言っていた。(酔っ払いなのでいちいち本の題名は明記しない)
私は下戸だ、と主張する文筆家は少ない。もちろん私の貧しい観測内においてのことではあるが、しかし煙草飲みと酒飲みの文章というのには、私は、明確に差異があるとおもう。
めんどうなので端的に言ってしまうと、煙草飲みの文章というのは、すでにして酔っ払っているのである。
翻って、酒飲みの文章というのは乾いている。
酒飲みの文章と言ってすぐに思いつくのは、私の場合は新井素子とか中島らもとかで、とにかく乾いているのである。言ってしまえばハードボイルド、固ゆで卵なのだ。
煙草飲みの文章といえばそれは橋本治で、かれの文章というのは、まあ人によって様々な意見があるだろうけども、とにかくある一定の基準というものを、下がらないような文章を、書くんであった。
この違いとは何か。
酔っ払った機能しない頭で考えるに、それは、自前で酔えるか、酔えないかの違いであると。
煙草飲みの人の気持ちを私は寡聞にして理解しないが、ある人は「煙草をのまないとイライラする」と言っていた。
私は酒飲みであるが酒を飲まないでもイライラしない。それは私が中途半端な酒飲みであることの証左でもあるが、私の場合は酒を飲む時は「嫌な気持ちを散らす」ことを目的としていることが多い。これは、酒の味を楽しむ、酒の場を楽しむなどという有意義な飲み方とちがって、実に吾妻ひでおひいては『アル中病棟』的飲み方であるとの自覚があるので決して推奨されるようなものでもないが、とにかく酒飲みにも煙草のみにもそれぞれに目的というものがあってそれぞれを飲んでいるに違いなく、それらを行わないというひとにももちろん、目的、理由というものが存在する。
私は煙草をのまない。理由は、税金を燃やしてのんでいるのと何が違うのかよくわからないから。
もしも私が1947年に20歳だったら、煙草をのんだとおもう。敷島とかを吸うのである。
しかしながら、私は1947年に20歳ではいられなかったので、やはり煙草はのまない。燐寸で煙草をつけた時に吸うリンの酸っぱさも知らない私が、今現在煙草やiQOSを吸ったとしても、それらの「経験」は得られない。だから、煙草はのまない。(単純に金がないというのもある。)
話が逸れ始めているが、とにかく私は吉田秀和さんの文章を読んでいて、そこで「酒は飲まない」という記述にぶち当たって、びっくりして酒を飲んでしまったのであった。
吉田さんの文章というのは迷宮に似ている。
プルーストにも似ているし、吉田さんの文章の北極には吉田健一がいて、それよりかは、吉田さんの文章というのは噛み砕きやすい。
しかし、その塩梅が、唯一無二なのだ。
私は江戸っ子のしゃぺりも語り口もみんな好きで、役者の牟田悌三(荻窪出身らしい)の語り口なんか、武者震いする程好きだ。池波正太郎の日本語なんか、頭痛がする程好きである。(とりわけ、随筆。)
そこへ来て吉田さんというのはあー、畏れるなかれ、日本橋の生まれで、江戸っ子ここに極まれりという人だが父親の仕事の都合で学生時代の一時期は北海道にいたそうだ。
私は吉田さんの文章というのが三国一好きだ。ちなみに高畑勲という人(ということもないが)の文章も好きなので、私は東大仏文科卒業生の書いた文章というのが好きなだけのただのスノッブだが、(……)かれらの文章というのはとにかく私ごときが今更言うことでもないが抑制がきいていて、静かで、落ち着いていて、しかも火を絶やさないというような、暖炉の中の熾火みたいな文章なのだった。
私は、高畑さんが酒飲みなのかは知らないが(ただ愛煙家であったことは事実)、彼らというのは実に、頭の中に「酔い」を飼っていて、それを自在に提出する。そして、その酔いを煙草という「神経をキリリ」とさせるものとドッキングして、その塩梅を、バランスをとる。その平衡感覚を、つまり私は東大文学部(!!)の、文章家のバランス感覚を愛していて、それで、橋本治を愛したり、吉田秀和を愛したり、高畑勲を愛したり、しているんであった。
酒飲みは煙草のみに憧れている。
まあ、そういう話でした。
酔いも覚めたのでおわり。2026.08.23
追記:私はこの文章で吉田秀和を煙草のみと決めつけているがそんな事実を私はかれの文章から読んだことはないのに気づいた。酔っ払いの勢いというのはかくも無責任なのか…(なのかってオイ)