『橋本治と内田樹』という並びよりも、『橋本治と新井素子』の方がイコールで結びやすいと思う理由:『流水桃花抄(橋本治掌篇短編集)』の「あとがき」感想①

えー、今、橋本さんの『流水桃花抄(橋本治掌篇短編集)』(1991)を読もうとしているところなんですが、その前に、この本の「あとがき」を読んで「この人はなんて”新井素子”なんだろう」とおもったので、それを書きます(ということで本編はまだ読んでませ…

だからどうした?:『風雅の虎の巻』感想 

「必要と非実用は対立しない」という考え方は”実用”と”非実用”を対立させる考えの上にあるものですが、どうしてこれが消滅してしまったのか――だから平気で「分かりにくい」などという言葉が上がるのかというと、実用と非実用を対立させて考える側のものが”非…

”思い通りにいかないコトはぜんぶ認めねーぞ、俺ァ”、または妄想としての現在、そして花井薫クンである(庄司薫クンではない)橋本治の『わかって下さいお月様』:『熱血シュークリーム』感想

さて、ハシモトはなぜ分かりにくいのかの問題である。 ダラダラと書きつけてみてもいいけど面倒くさいので結論。「おまえなんかに分かられたくない」から。 終わり。 結論以下は蛇足。もちろんこれを書いている人も「おまえなんかに分かられたくない」のうち…

他者から見たイデア:『対談の七人』感想

爆笑問題。 今回は、橋本治とそれから、ある一定の時期までの、爆笑問題についてのお話です。が。 今日の爆笑問題について、何かを云々するというのは難しい(というよりどう見ていいか困ってしまう)。しかし、1998年の彼らというのは、語るに値した、ある…

みんなで踊りたい橋本と、踊らない人々:『ロバート本』感想②

”ひつっこい”ようだが、橋本はどちらかというと炎上したくても出来ない人である。他人から”してもらえない人”である。であるからして、「いいけど別に」とか、「どうでもいいけど」とかいった文言を、文章の語尾によく付けてふてくされている。彼が、「俺が…

自分を愛するあまり攻撃的になってしまう人について:『ロバート本』感想①

『ロバート本』(1986、文庫では1991)を読んでいる。橋本の本の中でも自由度が高くまるで高級な便所の落書きかどこかのブログの個人的な記事を延々と読まされているかのような読み心地がある。読書としては面白く、橋本の内省するようにその内容は殆ど『近…

『虹のヲルゴオル』感想

『虹のヲルゴオル』は、大女優の「どうして誰も私のことを分かってくれないの?」のジレンマ、虚像と実像の隔たりを「〇〇って〇〇なんだよね。そうでしょ?」ってハシモトが言い続ける本で、大女優ってのはそういうアンビバレンツ(?)のもとに輝く光であ…

『橋本治と内田樹』感想

ハシモトの「書くことでしか得られない充足とくるしみとそれに伴う自転車操業」って氏が氏自身と○○○できないっていうくるしみを根本とするものだとおもうよという暴言からこの感想文は始まるが、それにしても「橋本は論じられない」とはどういうことなのか。…