自分を愛するあまり攻撃的になってしまう人について:『ロバート本』感想①

『ロバート本』(1986、文庫では1991)を読んでいる。橋本の本の中でも自由度が高くまるで高級な便所の落書きかどこかのブログの個人的な記事を延々と読まされているかのような読み心地がある。読書としては面白く、橋本の内省するようにその内容は殆ど『近世名勝負物語(p.119)』だが(黒澤明クリムトという「どこに接点が?」というような組み合わせで女性嫌悪と大男の心情についていってみたり(黒澤、クリムト、ついでに橋本も、大男、という点においての共通がある)、『香華』(1964、松竹)のキャスティングは母と娘の配置が逆だろうといったりしていて(激しい母に振り回される娘という設定で、母を乙羽信子、娘を岡田茉莉子としているが、それって逆だろっていう(勿論年齢については言及しつつ)、おもしろいのですが、どの内容にもうっすらと漂ってくるのは、彼お得意の(って言ったらアレだけど)、というよりはうっすらでもないアレである。
 つまり、

『こないだまたひどいブスに会ってサ、』(前書:148)

 とかいうような描写、書きぶりの、露悪的なアレである。
「ハシモトオサムは○○(なんでも好きな言葉を当てはめてください)に関しても理解のある人」などという一部認識があるのか、ないのか、知らないが、彼は自書でそういう認識を蹴飛ばすようなことを「わざと」書いている。(『学問してるブスって最悪ね』(前書:149)とか)
 まあ、このように前後の文脈を無視してこうした言及だけを拾っていくことはそれほど趣味の良いものではないし、しかし別にそういう挑発(?)にあえて乗っかって、色々とそれをさかなにしてなにかしらの文章を書こうとしているわけでもない。

 橋本が、「俺はこういう人なんだよ」調で論をどんどん進めてしまうのに倣って、こちらの勝手な憶測と断定で誤解を恐れずに短く話をするのであれば(橋本だって、『”理念”なんぞというものはハエの存在であるからして、これがいつ”妄想”というものに変わってもおかしくはない』(前書:124)と書いてます)、こうなる。
 つまり、
「橋本さんって”女”というものに嫉妬しているのでは?」
 これだね。もうこれでキマリ。(橋本さんの発言に倣って、これがこの文章の目的、理念だと仮想するのであれば、この言葉は「理念」と書いて、「もうそう」と読むことも可能ということですね)
 そして、彼が『頭の悪い学問ブスのエバることエバること』(前書:152)に耐えられなくて、あのような文章(『21=日本語から心理学を排除しろ』(前書:148-152)を書いてしまうのは、「もしかしたらそうなっていた(自分が該当コラムの中において否定している女性像)かもしれない女の身の僕」を想像してしまうからではないか。(あーあ)
 彼が、『21=日本語から心理学を排除しろ』の中に出てくる女性像を罵倒する姿は、”橋本治”という「自身の在り方」を愛するあまり、解釈違いの「俺」という可能性を、別性のなかに垣間見てしまったときの、「自己愛の人」の、「他者の中にあり得たかもしれない自身の最悪の顕れ方」に対する拒否反応のようにもおもえてくるのですが、こんなことは「考えすぎ」なのでありましょうか? このコラム(『21=日本語から心理学を排除しろ』)の中にあるものは、差別的な「ブスのくせに!」「馬鹿のくせに!(は、あるかもしれないけど)」「女のくせに!」ということではない。とおもう。多分。そうではなく、ここに存在する、あるいは存在してしまっているものは一種の恐怖、または「羨望」なのではないか。
「こっちは人から好かれるために、仲間に入れてもらうのに、どれだけ骨を折ってきたとおもってるんだ。それなのに、お前たちは、おのれの「ブス」と「女」を”利用”して、他人に好き勝手言って大いにエバってそれで、

近代という幻想の保護施設(傍線引用者)の中じゃ”ブス”っていう格差を承認するような言葉はタブーなんだもんね。それを承認したら”ここは平等であることを前提にしている”っていう幻想が壊れちゃうからね』(前書:150)」

「あーあ、あんたたちは、「女である」「ブスである」という「弱み」を「強み」に変えられて羨ましい。男であるこっちはそんなラッキーアイテム備わってないもんね」

……と、いうことに過ぎない……のではないか。そして、彼にはこのようなチートが我慢ならず、(だって俺は男であるという限り出来ないんだもん!)だけど「こんな汚いことができる「女」じゃなくて良かった!」……と。もちろん、”橋本治”についての話であるので、こうした「断定」はもちろん避けるべきでありますが。

 つまり、「そういうこと」なんである。橋本さんも男の身であって苦労している。しかし平気で、「あー俺、男で良かった!」とおもっている。
 ということで、こういう文章を読まされた女性というのは、そしてこういった文章に「はあ?」となった女性というものは、「ああそんなに女という身が羨ましいですか」というような態度を取っておけばいいとおもうのですが……どうでしょう。(最終的に弱気、なぜなら、橋本の言でいえば、

『基本的に、大男の心理構造というのは、女のそれとおんなじなんだと思うんだけどね』(前書:136)

 余談
 『ロバート本』はおもしろいです。たとえば『(吾妻ひでおは)『めぞん一刻』を描かない高橋留美子なんだもの』(前書:111)とか『吾妻ひでおは、『めぞん一刻を描けない人じゃないんだもの』(前書:111)とか……

 ということは、吾妻ひでおの『めぞん一刻』が『アル中病棟』だったのかもしれないな……とかおもったりしたのでした。

 おしまい。2021.11.11