細野晴臣の客層と大滝詠一の客層は被っているのかいないのか

 


 私は両者の完璧かつていねいなリスナーではないため、この文章は完全に完璧なものを目指せないわけでありまして、というのもわたしは好きになったものを網羅的に追っていくのが大変に“嫌い”で、老後のために「知らない部分」をとっておくというたいへんさもしい嗜好品摂取の方法をとっているため、色々的外れなことを言ってしまうかもしれないが、ナイアガラ―ならびにチョップアンドチャンプsoundの愛好家のみなさまごめんなさいでした。


  で、のっけからゾクな入りで大変恐縮ではあるが、細野さんってつねに美人系(?)の妙齢のおねいさんたちにモテている、というか、つねにそのような層から支持を受けている感がある。しかも、70年代からずーっと。今現在においても。どれだけ時代を重ねても、どうしてもある年齢層の女性のこころを掴み続けるそのsoundづくりに……誰かもう迫っているよね。はい。


 対して御大というのはどういう層に“モテて”いるのかというのはあんまりよく分からなくて、私もフィーリングでしゃべっているだけなのでなんの根拠もないのであるが、しかし御大の音楽というのは得てして、ロンバケ以前/以後というのにどうしても分けられてしまう、ために、リスナーの層がそれ以前と以後では全く違っている。強いて言うのなら「ロンバケ以後、大滝はダメになった」派と、「ロンバケ以後しか知らない」派と、「ロンバケ以前も以後も好きだ」派がいるんじゃないかな。もちろんボクはロンバケ以後の赤ちゃん”ポロロッカ”リスナーですが。


 で、私は細野さんも大滝さんも好きだけれども、やっぱりどちらかというと大滝派(?)で、だけど両方のソロであり原点であるところの『大瀧詠一』と『HOSONO HOUSE』だったら0.01の差で後者の方がよく聴いているんじゃないかというような……いや、やっぱりな~両方良いんだよね良いのベクトルが違うからそもそも比べられないんだよね~……
 私は常に、常に常に、対照者が存在する存在が好きだ。細野晴臣大滝詠一とか、三村マサカズ大竹一樹とか、ゴン=フリークスキルア=ゾルディックとか、ドストエフスキートルストイとか、カントとニーチェとか、そういう相反するからこそなんとなく惹かれ合っているみたいな(カントとニーチェは別に惹かれ合ってはいないだろうが……)存在が好きなのです。
 だから、両方のことを知りたい! のである。大滝詠一だけじゃ大滝詠一の音楽って完成しないんだよね(ぼ、暴論)。細野さんという存在があって大滝さんという存在があったとおもうから。細野さんの方はどうかわからないけど。でもなんかそうなんだよね。トルストイの存在があったからこそドストエフスキーが存在したように(そうなの?)、三村マサカズの存在があるからこそ大竹さんが公の場所で輝けるというかさ……とにかくそういうのがあるんだよ。くわしく説明してもいいけど長くなるしあんまり趣旨と関係ないのでやめるね。


 で、細野さんと大滝さんの話なんだけど、細野さんの音楽って最初からずっと洗練されているんだよね。その洗練こそがおしゃれであって、そういう場所に反応するっていうのは聴き手として当然のことだと思うし、私が細野さんの音楽のどこがすきかってやっぱり「最高」を打ち出したあとに、「この次はモアベターよっ!!」ってこっちに走って戻ってきてくれるところがほんとに好きなんだよね。だってさあ、普通に考えて、あの『はらいそ』以上の音楽ってめったにあるもんでもないじゃん。それなのにさあ、そっからモアベターを目指すのを当然にしてるみたいな人って……最高以外のなにものでもないですよね。……ね。(念押し)常に前を見ていて、後ろを振り返らない。あのね、陶芸家に八木一夫って人が居てね、その人が言っているの。彼はオブジェ焼きというのを焼いているんだけども、焼いたらそれで終わりなんだって。もう焼き終わったらその「作品」はどうでもいいんだって。なーんでか? というと、作品を作り終わった時点で、自分がこういったものを作りたかったというのが分かったから、もういい、んだって。私はそれをテレビで見たときに感動してねえ……細野さんにもそういう傾向があるとおもったな。終わった作品はもうどうでもいいとまではおもってないだろうけど、もちろん、でも彼がチョップアンドチャンプsoundの雄としてさまざまなジャンルの音楽に関わり続けるそのさまは、やっぱりかなりうつくしい。細野さんって生命体として、かなりうつくしいんだよね。いやほんとに。


 で、翻ってわれらが大滝は、となると八木一夫イズムとは全く違って、僕はそういうところが逆に大滝さんの好きなところなんだけど、ほんとに、大滝さんって色々なものを大切にしているとおもうんですよね。自分の好きなものとか、自分の作った曲とか、それに自分のファンをね。
 私は実は、お他人様がエアチェックしてくれた『GO! GO! NIAGARA』を聴きながら(あー、ほんとにごめんなさい)夜ねむりにつくというのをよくしてしまうのですが、その中で大滝さんが、「あのねえ、どうでしょう? この放送が聴けない地域の人もいるとおもうから、もしよかったら、空のテープを送ってくれればね、第何回放送分って僕が(ラジオの内容を)吹き込んでお渡しするというのもおもしろいとおもうんですけど……」などとおっしゃっているのを聞いた時にね、もうなんかねー……私は大滝さんのこと一生好きなんだろうなっておもったんだよね。そこまでファンおもいのディスクジョッキーって……この世に存在するかね?


 どんどん話が今回の主題からずれていくんだけど、まあとにかく私が言いたいのは、細野晴臣帰納的な音楽家であって、大滝詠一は演繹的な音楽家であると。でね~もしよかったら細野晴臣リスナーで、大滝詠一ノータッチってひとがいたら、ぜひ……大滝詠一も聴いてほしいなって話なんだよね。『ロンバケ』からでいいから。でもだめだなー、『ロンバケ』=大滝詠一ってなったら、『ナイアガラ音頭』まで行ってくれないもん、きっと。大滝詠一の真骨頂って『ナイアガラ音頭』だとおもうんだけど駄目? あんな洒脱な音頭ってないとおもうんだけど……洒脱なんだよ、『ナイアガラ音頭』はおしゃれなんだからあ!! まあ他人が何を聴こうが聴くまいがなんでもいいんだけどね。ほんとに。


 ところで私はあの『ナイアガラ音頭』の生みの親であるところの「くりーむそーだ水」さんは女性だとおもっているんだけど違うのかね? どっちでも素晴らしい? そうだね。
(あとねえこれは完全に余談ですけどえねえちけえでの大滝特集の最後にりんご置いたのゆるしてないからね。あれなんのつもりなの? ビートルズって意味? それならいいけど違うでしょっ)2025.12.07