陰鬱な美青年、陰鬱なる中年男、牛

 

 

 タイトル通り陰鬱な美青年と中年と牛が出て来て橋の上で一瞬邂逅するがすぐに自分たちの生活に戻っていき、そしてある深夜映画を契機にして自分の今までの生活を考え直し、「こんなのじゃだめだ!」とおもったりおもわなかったりする三人の男性の一瞬間を書いたお話……です。おもしろいので、とくに最後のおじさんの繰り言がおもしろいので(自分で言う)読んでね。

 

 ちなみに「センチマンタル」とか「アイデンチイチイ」とか「イゴイスト」とか間違った表記が出て来ますがこれは書いた人の趣味による誤記なのでタイプミスではありません、あしからず………

 

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 美青年というのはおウエが決めた単なる規定に過ぎない。それゆえに、美青年というものは常に困惑しているというのが事実なのだ。
 さて今ここにひとりの美青年が居る。彼は橋の欄干に腕をもたせて、ぼんやりと川面を眺めている。
 まずはじめに彼の外面描写からという向きもあろうが、実のところ美青年の描写というのにはあまり意味がない。
 それは美をその手中に抱いたものには共通の無意味さであって、美とは第三者が「美だ」と言い切ってしまえばそれ以上も以下もなくなってしまう。ただそこに誰がどう見ても造作の整った美青年が居る、それが橋からひょっ、と、滑り落ちるのではないかと疑われるほどの辛辣さで水面を眺めている、それはごく自然なようであってしかし完璧な不自然でもある。なぜなら彼が仮に凡百な容姿を持つのみであってぼーっと川の流れを眺めているだけであるのだとすれば、それを風景として済ませることも可能になる、が、しかし彼は美青年なので風景にはなれない。なれないからこその美である。ので川面を眺めているその美青年は、ここではまったくの対象でありものごとの焦点でしかなくなってしまう。
 彼はフォーカスされてしまう。ためにその焦点である彼を眺めるものの視線も当然ここには現れてくる。美は個としては立脚できない。大勢の皆様に支えられての美青年で、なにも青年自身がわたしは美でございと声高らかに主張するものではない。美は突出である。美は非日常である。であるからこそ、日常の褻であるしかないわれわれが、晴れを求めるという希求によって、ようやく彼の美としての個体は立ち上がってくるのではないか。美には称賛者がいなければ……であるがゆえに、第三者の登場である。第三者がいなければ美は始まらない。ので悲しいかなその彼も、第三者にその美を《発見されて》(美とは所有だけでは不十分のものである)、ぶえんりょにもじろじろと、美を所有しない一般大衆に、眺め回され見舐られ咀嚼され尽くしてしまう。
 さてその第三者である。しかしこの第三者の話をする前に、その《陰鬱な美青年》自身について話しておかなければならない、のかもしれない。順序からすれば。しかしそれにもあまり意味がない。なぜかというと、この美青年には、語るべきようなことがあまり無いから。
 もちろん彼にも人格というものはある。それも人並みにある。だからその中に彼が今彼であるとするところの過去と歴史が詰まっているわけで、それを少しずつごお披露目致しますということになれば彼の歴史を物語ることも可能かもしれないけれどもそれも難しい。なぜなら彼はここにおいて、というより今現在の“彼”は彼を眺めている第三者によって眺められている《対象》でしかないので、第三者には彼の裡に秘められた内容など必要がないからだ。ただ彼を見て、ああきれいだな絵になっているなとおもうだけ。
 彼は常に他者においては美の対象である。それが彼には悲しい。辛い。苦しい、のかもしれない。でも彼はここにおいては完全なる対象でありそして客体であるので、彼が本当のところ何を考えているのかというのは誰にもわからない。というよりも分かってはいけない。分かってしまえば美を失ってしまう。そして、そんな彼が橋の欄干に凭れて川を見ている以上、それを揺るがすようなことは極力避けるべきであり、そして避けるなどという意識も上らせないままに、第三者は彼のことを凝視していて、それによって第三者の目には美青年が美青年としてまっとうに映り機能している。第三者にとってはその確実性がなんとも頼もしい。彼は彼を見ている。そして彼はその見られているという状況に慣れている。慣れているから、平気な顔をして美青年をやっている。彼の目の前には川がある。水面がある。水のきらめきがある。ただそれだけがある。美青年は今、自身の美とは違う、別の美を見ている。


 そして、ここにまた一人の男が立っている。彼を見ている例の彼、彼の職業は画家である。最もそれは自称画家に過ぎなく、毎日のパンを買うことが精々というような体たらくではあるがそれでも彼は画家である。画家であるという自分を自負している。誇りに思っている。それでアイデンチイチイ作って毎日を過ごしている。だから彼からこの自称を取り上げたら精神の案配がまずくなるのでやはり自称画家という心持ちは彼にとってはかけがえのない、何にも代えがたいものなのだ。
 その安全な状態にくるまって、彼は二月の小雪ちらつく重空の下、ねずみいろのコートをおもたげに揺さぶって、宮沢賢治の向こうを張った紐が長くて絡まりやすくて履くのに時間がかかる編み上げのドタ靴履いて、家賃二万三千円、風呂なしトイレ共同ガスコンロ付きのアパートメントから這い出して、連日の皿洗いによるあかぎれ痛い両手を、底に穴の空いたようなコートのポケットに突っ込んで、この土地にやってきた。
 彼は陰鬱な気分であった。とてもやりきれず、くさくさしていて、かなしくて、とてもじゃないけどやりきれない。そんな気分だった。何があったとかどれがどうしたとか具体的な事象は何も起こっていなかったが、とにかくその時の彼はくさくさしていて、やりきれない気分で、悲しくて、この寂しさはどうせ誰にも分かってもらえやしないんだとか考えていた。
 具体的な《嫌なこと》は何も起こってはいなかったといったけれど、それだって正確な事実を伝えていることにはならない。なぜなら、細かで煩雑になるような《嫌なこと》は、ごく日常的に彼の身に起こり続けているからだ。
 例えば今日は起きがけにカラスが鳴いてそのせいで叩き起こされた。なんで雀の声じゃなくてまいんちまいんちカラスの攻撃的な鳴き声で起きなきゃいけないんだよ? 昨日の夜はいっぴきの蚊におびえてとてもじゃないけど眠れなかった。ウトウトしかけたところにあの「プーン」が聞こえてきて、彼はその音がとにかく嫌いで、「キャッ」と声を上げて身を捩って、電灯をつけて、そいつがめのまえに現れてそれをおのが手で八つ裂きにするまでぜったいにねむれん、おまえとおれの勝負だ、どっちかが死ぬまでやろう……とするのに相手方はそんな彼を軽蔑するかのように全く姿を現さず、それにもかかわらず電灯を消して毛布をひっかぶると「プーン」が聞こえてきて、大体からなんで冬なのにてめーこの部屋に勝手に入ってきてんだよ? とにかく蚊のモスキート音に怯えながら毛布にくるまって、再びウトウトしかけると、今度は屋外でカラスが「カー」……。じょうだんじゃないっていうんだよ。
 とにかく彼はおのれの生が外部から阻まれていると感じる。世界は俺を歓迎などしていないんだ。そんなこと十九二十歳のころから気づいてた。だんだん、世間が俺に興味を失っていくということ。そしてそれに歯止めをかけるような策は、おれのなかにはどれほどのものでも存在していなかったということ……
 だから彼は絵を書いているのだった。こんな短絡的に彼の絵と彼の「かわいそうなボク」的過去を重ね合わせると「それは違う」と言われてしまうかもしれないのでこのようなイコールの結び方は間違っているかもしれない。けれどそういう側面もある。側面もあるので、彼はやっぱり今日も、金にもならない絵をしこしこと描いている。
 彼はコートのポケットに散らばっている小銭をちゃらちゃらと指に遊ばせる。この感覚は四百円、四百六十二円くらい……牛丼にすべきか天丼にすべきか。うどん、ハンバーガー、唐揚げ弁当……。
 生か死か? 現代に置いて、かの命題はこのような場面でこそ真価を発揮するのではないか。俺には継承戦などない、俺には運命の恋人などない、俺には毒殺されるべき命運などない……しかし腹は減る、現代人だって毒殺されなくても腹は減るんだ!
 などと、彼は、空きっ腹で考えて、昨日の夜ちょっと降った雪の上をぎしぎし歩く。
 都会に降った雪はすぐに溶けた。靴底に穴の飽きそうなどた靴、編み上げ靴、その底からしんしんと冷たさが立ち上ってくる。土とスモッグとごみが混じり合ったような雪道を歩く。ところどころ凍っていたりして。「うぐ」
 足裏に感じた痛みのような冷たさに、彼はおもわず声を上げ立ち止まった。ああ嫌だ。もう嫌だ。こんな靴ぅ! 修正してやるッ!
 彼は腹をすかしていて、朝から何も食べていなくて、バーゲンセールで買った化繊のぺらぺらしたコートはちっとも冬の寒さをしのいでくれず、ケンジ・ミヤザキに憧れたところのどた靴は履くのが面倒なばっかりで靴底は薄くおまけに彼の足の親指は他の指とは不均等に大きいときていてすぐ靴を駄目にするので容易に穴が空き、更には折から続くこの悪天候、溶け残る雪の上をそのような軽装で出かけてきたものだからものの見事に靴の中に水が入り、彼の気分はもう、くさくさ、どころではなく、すっかりすべての気を悪くして、その橋の始まりであるところの欄干に凭れて、くうとすっかりくたびれきってしまった。
「……………」
 第一からして……第一からして、彼は考える。体力がない。これがそもそもの悪循環を呼び起こすものに違いがない。
 朝起きる。彼などはもうこれだけで一日の半分以上の体力を使ってしまっているようなもので、反対に言えば朝起きるという行為を一度行ってしまえば、その後はだいたい消化試合として日常を行えてしまうというのもある。毎日とはほとんど同じことの繰り返しでありつまり、一度でいいから『目を覚ます』というのが、一番の肝要なことなのであり……。
 まいにち、朝、起きるといういちばん大切なことをするために、体力が必要だ。ために、彼は夜眠りにつく。朝起きるというための体力を回復さすということだけのために。なんという永久機関、なんという生と死! 若い頃には、このようなことには思い至りもしなかった。なぜなら若い頃というのは、とかく他者の言葉が気になるものであり、他者の思惑が気になるものであり、他者の意見が気になるものであり、自己の思惑、自己の内省、自己の判断などに構っている暇など無く……。つまり彼なども、若者の凡例というものにしたがって、それなりに若い季節を忙しく謳歌していたということ、そしてそれが終わりを告げた時、彼にもまた別の角度からの生と死が見えてきたということ。
 何が言いたいか。つまり、この男も、ある時は、ある頃は、ある時期は、ある季節は、『陰鬱な美青年』であったということ。
 彼はいわゆる陰鬱な美青年の成れの果てで、陰鬱なる中年男とでもいうべきかとにかく、今現在の、どた靴の裏をべこべこにして、靴下三足九百八十円税別のダマ付きらくだいろの靴下をびしゃびしゃにして橋の欄干に凭れている自称画家の年齢不詳のこの男、彼にも青春の季節はあり、青春の美青年像を他人から、他者から与えられていたということ。


 ところで他者評価とはなんという快感であろうか。
 彼はその季節を思い出すたびに、まるで頬の内側に丸い砂糖菓子を含み、それをだいじになめしゃぶっているような感覚に陥る。いい。あれは、いいね。
 ふらふらしている一本の苗木のようなものを、そっと添え木で支えてもらえるような頼もしさがある。ふらふらひょろひょろしたふたしかでひょうろくだまであるところの心細く弱々しいものを、「もまいはふらふらでもなくひょろひょろでもなくふたしかでもなくひょうろくだまでなく心細くもなく弱々しくもない」と誰かが発言したとしたら? 「嘘だろう」とおもうかもしれない。「御冗談でしょう」と。なぜなら俺などはまったくのふらふらひょろひょろふたしかひょうろくで……などと謙遜しようものなら、「またまた御冗談でしょう」と再び自説を否定され、「あなただって、分かっているんでしょう」と逆に同意を求められる。何を分かっているんだろう? ひょろひょろひょうろくであるところのこのボクなどが?
 などと、いうところから始まり、彼が美青年である胞子が蒔かれてゆく、それも篤実に周囲へと。しかるに彼は美青年であった。周囲の人々は彼への賛美を惜しまなかった、彼は自分が周囲の大人から、彼がひとつの行動を取るたびに笑顔を向けられるという状態に慣れていく。所作がかわいらしい。彼がああだこうだしているところを見ていると気分が和むんだって。居るだけで周囲の気持ちを高揚させるなんて。ああ美少年の日々。ああ青春のあのうるわしき日々!?
 彼は周囲からの賞賛の言葉に慣れてしまう。「大きくなったら芸能人になれる」「子役に応募すべきだ」「まつげが長い、額が広くて頭が良くなりそう」などと冗談交じりに言われ続け気ままにその身のエスを現実に即しながら満足し続け誰も彼を咎めない、それは彼~が美人だか~ら。
 彼は田舎のバスを発進させはしないがおのれの美少年ぶりはいかんなく発揮し続け、周囲を幸福に。彼の笑顔は、彼の小首のかしげ方は、彼の気まぐれさは、周囲を巻き込み巻き込ませ巻き込まれたいと願われ彼からの視線を、言葉を、仕草を与えられたいと望まれ続ける。なぜなら彼がかわいいから。それは彼が美少年だから。
 彼の横顔は、年令を重ねるごとに益々アンニュイになってしまう。長く濃いまつげを伏せて、うるうるリップを少し開け、ゆううつそうにため息をつく。どうしてそのようなまるで絵のような仕草が完成を許されるのだろう? それは彼が美少年だから。
 でも少年になった頃の彼は少しゆううつだった。なぜなら、彼は与えるばっかりで、誰からも与えられていなかったから。
 あいにく彼はイゴイストでもなければナルシストでもなかったので自分の美を自分で楽しむことが出来なかったし、正直言って周囲が称賛するほどおのが体に価値があるなどとはおもっていず、しかしこのような状況は一過性のものでありすべてが過ぎ去れば称賛など潮のように引いていくともおもっていず、ただ毎日をのらりくらりと、時々「つまらないな」とか「誰かボクをここから連れ出してくれないかナ」とか甚だ若人的なことを考えているだけであって、しかしやはり現状にまんぞくしていないという点においては、彼はじゅうぶんに『陰鬱な美青年』足る資格があった。のだ。


 つまり美青年は美青年であるがゆえに悩んでいる。というのもひとつある。しかし実際青年期など美青年でなくても悩みは尽きぬもの、良い子悪い子普通の子の例を取るまでもなくそれぞれの子どもが若い季節を通じて悩み惑うのはこれはもう必定、彼の外見のみに理由をわざわざ限定しなくとも悩みなどは誰しも尽きぬもの。彼もその状況の一端を担っているのにすぎない。しかし青年期という彼の、彼を『陰鬱な美青年』たらしむるその状況下がその『誰しも』という状態を許さない。つまり何が言いたいのかと言うと、彼は『陰鬱な美青年』としてここに登場し、であるがゆえに必然的に『悩める美青年』であるところの彼はまごうかたなき青年であり、青年であるからこそ、この『誰しも』という普遍的な考え方を許されない、ということである。


 なぜ俺ばかりがこんな目に。なぜボクばかりにこのような仕打ちを? どうしてわれ自身のみにこれほどの不幸が降り注ぐのか。だいたいみんな同じような悩みを同じような時期に抱くに決まっているのに、やはりそれを抱く個人個人の立場からすればその『悩み』などに普遍性も時期も関係がなく、関係があるのは『おのれ』であり『個人』であり『なぜ自分だけが』でしかありえない。ので彼は「何故ボクばかりがこのような目に?」という気持ちで、悩み惑っている。そして彼は美青年であり、その外見にちょっとばかりの説得力があるがために、その苦悩に満ちたような外見は、人々をして彼を崇高な存在へとひっぱりあげてしまう。彼は悩み惑う姿を他人に見せることによって益々美青年としての価値を磨いてしまう。その悩みの深さ故に、時々秋などにはセンチマンタルな気分になり、海が見たい……などと窓から見えるローマ、窓から見えるプラタナスの木なんか覗いて、ほろりとその白く陶器のような頬に涙が一筋伝う……のような風景を他人に想像せしむるその強烈な顔面の説得力。彼なら空も飛べるよ。飛べると言っても疑わない。だってあんなにきれいなんだから、など。


 でもそんな想像も、彼自身には一銭の値打ちもない。他人様は彼のそのような風景を想像して現実にも幻想の余地はあるのだと彼自身の真っ向からの強固な存在によって他ならぬ現実への希望を強くすることも可能になるが、彼にはそのような自由な想像の翼を持つべく余地もない。彼はまさに翼の折れたエンジェル……などと、同士を探してお互いの傷をなめ合うような他者としての別の美青年を持ちなあなあ性を使用し温まるなどという境遇も持ち合わせない。それならば彼は一体何を所有しているというのか? それは彼の体ひとつに他ならない。彼は幼年期少年期青年期を通じて、まさに裸一貫で世間一般に取り組んできたのだ。その潔さはほとんど崇高ですらある。しかし崇高であるがゆえに、悲しいかな、彼にはその裸一貫であるところの肉体しか所有物の持ち合わせがなかった。
 彼は悲しかった。ボクにだって希望の一つ、想像の余地一つくらいは見せてくれてもいいはずなのに。ボクは自分自身を皆さんに差し出している、ではボクが皆さんから得られるものとは? それは称賛である、礼賛である、時々肉体である。人々は彼を称賛し崇め奉る他に、まだまだ彼を求めてくる。彼の肉体、かわいくてきれいでかっこいい、みんなが欲しがる彼の肉体……でもそれは彼唯一の、彼自身が所有を許された彼だけのものなのに。それすらも奪われて、彼はすかんぴん、裸すら無くなった彼のもとには何が残る? それは相変わらずの言葉、空疎、称賛、誉れである。「ほんとに、かわいい」「ほんとに、かっこいい」ほんとに、かっこよくて、かわゆくて、素敵なボク。
 で、そんな彼はある日を境にして、絵を描き始めた。もしも彼がもう少し昔の人間なら、彼は迷わず墨汁をつけて半紙か何かに黒々と、あるいは薄墨でなんやらかを書き付けたかもしれないが、近現代人であるところの彼は、まずはじめにいろえんぴつを手にとった。ともすれば自由自在となる絵。そこでは彼でも、肉体すら失った彼でも空も飛べるよ。肉体も、絵空事の肉体であったとしても、まったくの空洞でなければ、少しの慰めにはなるだろう……


 ということでいつの頃からか彼は絵を描き始めた。それは周囲にとってはあまり喜ばしいことではなかった。美青年は美青年らしくそこに立っているだけで絵になるのに。どうして、稚拙な手でもって、本人よりもより劣るようなものを「絵」として、自らの手で《無駄に》生み出すような、不適当な真似をするんだろう? 人々はおもった、しかし彼は、絵を描いた。それは自分を取り戻すためとか、真に美しいものを自らの手で作り出すとか、適当な理由を作ろうと思えば作れるのかもしれないが、そんなことは彼のみぞ知ることであって、他人には分からない。何か他に深遠なる理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。ただ単純に退屈だったからとか。何しろ彼は、毎日毎日、「あーつまんない」とおもっていたので。 
 つまんない彼は絵を描くことによってそれなりの退屈を紛らわせた。そこから才能が開花してコンクールなどで賞取ってそれが国内のみならず外国でも高い評価を得て……とかトントン拍子に事が進めば平和だったのかもしれないがそれでは現在の彼と人物の関係性が結べなくなってしまうから事はここでは終わらなかったのよお立ち会い。
 そしていつからか彼の描く絵はどんどん美しくなり、代わりに彼の顔貌は見にくく老け汚れていく……となったらまるでドリアン・グレイだが、現実ではそのようなことは起こらないので彼は順当に外見だけ老け醜くなっていく。描き続けている絵は稚拙でこれはお話にならない。しかし彼は下手の横好きとでもいうべき余計な執着をその絵に懐き始めていて、だから「ボクは将来画家になるのだ」などと夢物語のようなことを平気で口に出してしまうのだ。
 そうおもっていても口に出さなければ万事は(というよりは外見上は)それまでと変わらず過ごせるはずなのに、他者肯定に慣れた奢りと誇り高さと高邁さと自負心とが彼の心と体を気高く作り上げていたから、彼は彼の発言によって、人々が彼という孤高の城へのイメージに亀裂を走らせるようなまねをするはずがないと信じるまでもなく当然とおもうこともなくそれをまったくの通常だとしていて、つまり他人というのは「俺の様々な言動によって俺を肯定することはあっても否定することはない」という「存在」だと「認識」していたということで、彼がなにかを発言しても人々は彼のことを肯定する、されてしまう、それは僕が僕であるがゆえに仕方がないことなんだ。としていたので、だから彼は平気で自分のことを「画家になる」とか吹聴し始めていたがそれは完全に悪手であった。
 彼の行動が、彼自身というほとんど彼自身にとってすれば全宇宙であると言い切ってしまってもいいほどの彼、が誰に何を言われたせいでもなく、彼自身の決意のみで進ませようとしている現在であるところの彼、それをこれから彼は少しずつ他者から否定されていく。それに伴い、彼はだんだんと醜くなっていく。
 なぜか?


 ここで話は断然戯画めいてくる。つまり彼を支えているものがすべて砂塵のように流れ落ち始めてしまうということ。だかといってそれまでの彼が砂の城でしかなかったというわけでもない。コンクリートで出来た城だったかもしれないし、はでな漆塗りのけれど燃えやすい素材でできた炎上の似合う城だったのかもしれないし、防火対策ばっちりでけれど地味な白亜の城だったのかもしれないし煉瓦を敷き詰めた堅牢な城だったのかもしれない。でもそれらすべてもいつかは粉々に砕かれる運命にある。彼の城もその一途をたどったというのに過ぎない。そしてそれにはこういった理由がある。
 人という字は人と人とが……という話がある。毎度おなじみの、つまり人は人が支え合ってとか。今更こんなことは屁の突っ張りにもならないかもしれないが彼の場合はまさにそうで、彼は彼という青年像を他人に作ってもらっていたのだった。女も男も彼のことを綺麗だという。綺麗なものとして扱う。そうするべきが当然だと、そうしないことには自身がとてもじゃないけどいられないというように。だから彼は彼らのそういう歓待の儀を受ける。そうされる、からそうしてもらうしかない。しかしこのようなことは何も彼特有の現象などではなく、誰でもこのような(肯定か否定かの違いはあれど)他人からの反応のあれこれによって、自分という形を作っていくというのがこれはもう当然のことなんである。
 おのれのなかにある像と、他人の中に見える像、それらを重ね合わせ、少しずつ自身の像をはあくしていく。その中で、年齢を経るごとに像の修正を行いたいと願う者もあれば、一度決まった像は死んでも離したくないという者もいてそれは当然カラスの勝手なので各々の好きにすれば良い。しかしこれは分量の違いはあれど、自身のうちから生ずる「ボクってこんな人なの」という自覚、内省と、他人から生じる「あんたってこういう人だから」という断定、決めつけ、両方をすり合わせ、自身の納得行くようブレンドしていってこそ、ストレートなコーヒーからは抽出できない複雑なお味、マイルドなお味が表現できるというもの、その分量を間違うとどうなるか。支えを失って転がる。指標を失って道に惑う。自分の話すべき言葉が分からなくなり、自分のすべき行動が分からなくなり、しまいにはたちの悪い「ボクはさてこれからどう生くべきか?」とかいうことになり最悪の状況になると老人から「君たちはどう生きるか」とか言われて「はあはあなるほど」とか興味深く御高説を喜んで聞いてしまうようなことになりかねない。気の毒なことに彼はどちらかというとこっち側の人だった。
 彼は今までにだいたいの彼という像を他人に作ってきてもらったからそれが歪み始めると彼も一緒に歪んでしまう。でも彼はそれに抵抗したい。ボクは汚くない。ボクは醜くなんかない。そのためには何をすればいい? ボディエステ? 整形? ボトックス……鍼治療、ジム通い……彼はそれをせずに絵を描く。ボクだってボクという状態をクリエイトできるんだもん。ためにボクは絵を描く、もうこんなのは権利に近いんじゃないか。でもそのせいで他人は彼の城を粉みじんにし始める。彼の持ち出してきた彼の像が彼らの気に食わないから。余計なことをするな。お前はただ黙っていい男やってればいいの。じゃないと美青年だって称賛してやんないからな。いいのか? お前が状態し続けてきた『美青年』という状態を殺しても?
 良くはない。しかし最早彼には時間が来てしまった。最早美青年では居られない。彼は年月を重ね、次々と中年に。
 彼は加齢に伴ったケアなどとは選択肢にも入らず若い頃そのままの生活を続けていたために、自身のそれを維持できない。元々太りやすい体質だった彼は膿み破れた胞のようにぶくぶく豊かに淫ら肥え、もちもちと自身の肌をふくらませる。この体型になったために、かえって楽になった……という向きの元美青年もいないことはないだろうが彼の場合にはこれに該当しない。ただ彼は愚直に絵を描いている。しかしその絵は誰も歓迎されないような内容なのでそのまま誰にも歓迎されない。人々が彼に期待しているようなことはそのようなことではないので。
 でも彼は絵を描いている。そして次第に人々の間から忘れられていく。
 忘れられている途中の彼は、薄いコートを翻して、今、橋の上を歩いている。
 薄暗い雲の隙間からちらちらと雪が降り始める。今日の天気予報では小雨のち晴れ。全然当たらない。靴下に染み入る溶けた雪が気持ち悪い。もう帰りたい。牛丼を食べるのは止そうか。でも帰って食うもんなんかないんだ。ああ、めんどくさいな、めんどくさい……。


 この男はそうやって、次第に人々の間から忘れられていった。でも元々からして、根本からして《忘れられる》ことすら得られない人物だって、神様は世の中にちゃんと作っておいてくれる。それがこの第三の男とも言うべきこの人物である。
 彼は牛である。牛のように食べ牛のように眠る。であるにもかかわらず「ご飯食べたあとすぐ寝転ぶと牛になっちゃうよ」という言葉を彼は母親から掛けられた記憶がない。そうした行動を、母親の前でよく実践していたにもかかわらず。なぜそう咎められなかったのかと言うと彼が食事をとった後に寝転ぶ姿があまりにもそのまま《牛》として表現されるに正しく、母親がその言葉をためらったためだった。そこに確実な牛がいるのにもかかわらず、改めて「牛じゃん」というのはなにか変だ。言っても仕方がないというのもある。それを発言して得られるものなど両者間には存在しない。ので母親は我が子を「牛だ」とおもっても、決して「牛だ」とは指摘しなかったのだった。
 そして彼は牛なので考えない。
 考えない、というのでは語弊がある。考える暇がない。そんなことを《考える》暇があるのなら、一秒でも多く別のことをしなければならない。必要なのは、ただ肉体的な、彼を行動させうる刺激だ。
 彼は動かなければならないから動いている。だから彼は今、必要に駆られてその、雪の溶け残ったものが残る橋を渡ろうとしている。
 彼もまた忘れられていく運命にある。しかしいつまでも忘れられない存在などこの世に存在しない。だから別に彼が特別忘れられやすいということでもない。
 彼はどこも見ずにただ橋の上を正確に歩いていく。彼には歩く目的がある、そして目的地に着かなくてはならないという歩くための理由がある。だから彼の歩調は潔い。潔白している。迷っている暇もないし、ためらっている暇もない。ただ彼は時間に追われるように、両方の足を交互に動かし続けている。そのお陰で彼は彼自身の目的を達成させる。そこには他人の思惑とか、個人の思惑とか、自身の思惑とか、つまらないものは一切付随しない。あるのは行動それのみだけ。その彼が、自己の思惑とまだ残る他人の思惑の残り滓の間で懊悩する、それがこの第四者とも言うべきこの人物である。
 そしてその彼が、懊悩する思惑でしか無いような状態の彼と肩をぶつける。
「あ」
「あ」
 その拍子に、彼ら二人が抱えていた風呂敷に包まれた板切れのようなものと、キャンバスバッグがぶつかり、濡れた歩道に落下した。
「あっ」
「あ」
 二人は再び同時に声を上げたが、同時に上げた声のうち、低い声の方がじゃっかん声が大きく、また動揺の色も濃かった。彼らのうちひとりは、その声の深刻なにおいをびんかんに感じ取って、自分の落とした風呂敷包みなどは構わずに、うろんげにもう片方の男を観察した。
 観察されている方の男は構わず、観察されていることにも気付かず、慌てて自分の落とした黒い革のかばんを取り上げると、後生大事に抱きかかえて、それからあたりに散ったほとんど水のような雪を払った。「すみ……」
 彼はその男の動作を、中腰のまま顔だけ上げて見ていた。右手は次のパフォーマンスのために、落とした風呂敷包みの方に伸びていたがその腕の先が風呂敷包みを掴むまでにはまだ時間が掛かった。そしてそのせいで、風呂敷包みに染みをどんどんと侵食させていき、中身まで濡れてしまった。
「すみません。よそ見をしていて」
「いえ、こちらこそ」
「あ、大丈夫ですか」
「え」
「お荷物。濡れますよ」
「ああ」
 そこで彼はようやく自身のそれに視線を落とし、実際にはしなくてもいいはずのことを仕方なく実行するかのように、めんどうくさそうにその紫色の包みを拾った。「大したものではないので。大丈夫です」
「ひどい天気で」
 彼はスーツのポケットから白いくたびれた木綿のハンカチーフを取り出して、それで額に滲んだ汗を拭いた。「どうも。失礼様でした」言って、その男は大きなキャンパスケースを大事そうに抱えて、ひょこひょこと橋を渡っていった。それを彼はぼんやりと見送った。
 男はひょこひょこと歩きながら、目的のビルにようやく着いて、やっと一息をついた。赤丸ビル、五階建ての古いビルヂングの三階に、彼の目的地はあった。彼はビルの入り口で郵便箱の中身を確認し、ダイレクトメールなどを取り上げると蓋を閉め、軽く各種の表書きを確認し、スーツのポケットに乱雑に突っ込んだ。
 もう片方のポケットから再び白ハンカチを取り出し、汗を拭きながら、彼は狭いコンクリートの階段を上がっていく。
 モスグリーンのくすんだ壁紙に囲われたガラス戸のノブをひねり、部屋に入る。狭い部屋の中には誰もいないことを確認し、彼はとりあえずほっと息をつく。「ああ、くたびれた」彼は独り言を零し、部屋の手前の紙やノートなどがごたごたと積み上がっているデスクに、持っていたキャンパスケースを置いた。ばさばさと幾枚かの書類が宙を舞ってリノリウムの床に落ちていったが彼は構わなかった。
 彼ははあはあと肩で息をした。間に合った、間に合った。間に合った……。
 ザー、と水の流れる音がした。彼ははっとして顔を上げた。その時、部屋の端のドアが開いて、彼の上役が顔をのぞかせた。「なんだ。来ていたのか」彼は濡れた手をハンカチで拭きながら言った。「はあ。どうもすみません。遅くなりまして」「いつまで待っていても来ない君を待ち続けて、こちらもおもわず快便になってしまいましたが」「まことにあいどうもすみません」「なにか言っていた?」 「いいえ、特には。今回もよろしくどうぞと」「あっ。そう」
 白髪の初老に差し掛かった上役は、ウールの茶色いスーツの腕を動かして腕時計を確認して、「じゃ、二時頃出ましょうか」とのんびりと彼に言った。
「ええ」
「良かった? 絵」
「はあ。どうもまだまだ私などには」
「ふん」上役は相槌とも嘲笑とも取れるように鼻を鳴らし、「どれ。見せてもらおうか」と促した。
 彼は、散らかったデスクの上にらんぼうに置いてしまったキャンパスケースを慌てて抱えると、ソファの前のガラステーブルの上に、丁寧にそれを置いた。上役がソファに腰掛ける。彼もその対面に座り、キャンパスケースを開け、丁寧にくるまれていた中身を取り出した。
 中から出てきたのは一枚の油彩画だった。六号キャンパスにどろどろとした筆致で、風景のようなものが描かれている。上役は身を乗り出して、顎のあたりを撫でながら、それをじっと見つめた。「はあ、なるほどね」「なんでも上高地のほうに旅行にお出かけだったそうで」「この寒いのに?」「はあ」「ああそうですか」上役は関心がなさそうに相槌を打った。「上高地ですか」上役はポケットから白い綿の手袋を取り出すと片手に嵌め、キャンパスを取り上げ、傾けた。「上高地ね」それから、その油彩画を放るように包みの上に置いた。
「まあいいや。はい、分かりました。ごくろうさんでした」
「コーヒーでも」
「ああ、そうだよね」
 上役はのんびりと答えた。
 彼が簡易キッチンで湯を沸かしているあいだに、上役は言った。「もう先生落ち目だね。どうしようもないよこんな絵描いてちゃ」「はあ」「道楽でやるんならいいけどね」「ええ」「どっちにしても名前だから、いいんだけどね別に。どんな絵描いたって」「そうですね」「もう嫌んなったな、ボク」やかんの口から湯気が立ち上り始める。男はそれを見ている。「きたねえ絵を売るの。もうなにもかもめんどくせえよ」
 男はコンロの火を止める。

 

 そして陰鬱な美青年は、マクガフィンについて考えている。
 彼は水辺に溶け落ちる細かな雪のむれを見ている。
 少し冷えてきた。長いまつげを細かく震わせる。
 雪がちらつき始めていた。彼は昨夜テレビで観た深夜映画のことを考えている。
 男が出てきて女が出てきて、女の知り合いが不自然に殺されて、その女の知り合いの持っていたダイヤの指輪が盗まれているのを知る……、それをきっかけに、物語は謎が謎を呼んで、話は不吉で不気味で静かな音楽とともに、ゆっくりと進んでいく……

 

 その不気味な映画が終わった後、ひとりの映画解説員らしき老人がぱっと画面に映り、こんなことを言っていた。「……なぜ映画の中で指輪は盗まれるか? これは映画というものにおける最大の謎ですね。
 なぜ指輪は盗まれるか。変わった疑問ですか? それを言っちゃあおしまいよ、かな? そんなこと疑問におもったって仕方がない。そういう向きもある。ですが今回はちょっとこの問題について考えたい。
 なぜ指輪は盗まれるか。そうしなけりゃ話が進まないからです。それはもちろん、ではなぜ指輪でなければならないのか。高価なものだから、人というものは他人の所有している高けえもんなら、あげるって言えぁそいじゃ遠慮なく、ともらってしまうように作られていて、そういう傾向にあるわれわれが「まあそれほど高価なものなら盗んでだって手に入れたいだろうな」と一応は納得できるようになっているからか。
 つまり動機づけですね。映画の中で強盗殺人を起こしたい。それによって引き出されるドラマと過程をそのもの「映画」としてパッケージ化して売り出したい。その動機のために、ここに「他人の所有する高級」が映画的行動に出るための動機として現れてくる。つまり高価な宝石のはめこまれた指輪というのは、動機づけにかっこうのアイテムということになる。これをなんとするか。
 こういうのを一説ではマクガフィンと呼ぶそうです。マクガフィンそのものによって引き出されるドラマ、描写、道筋。すべてはその動機づけから始まります。だからその動機というものは、大多数の観客が、「まあ、そうだろう」と納得できるものでなければ動機足り得ない。であるからこそ、他人の指輪は他人によって盗み出され、必要があればその指輪の所有者たる他人は、指輪を盗んだところの他人によって殺害まで、されてしまうわけです。
 しかし現実にはなかなかこういったことは起こらない。他人が高価な指輪を所有していて、所有していない他人がこれを手に入れようとして盗みを働きそのついでに指輪をはめること自体を目的としているところの女性を殺してしまうなどということは、まああるかもしれないにせよ、めったには起こりませんね。であるからこそ、映画の中でならということで映画の中では常に指輪は盗み出される運命にあるわけですが。
 そうです。運命なのです。私の言いたいのはそこなんだ。
 なぜそこに指輪は登場するか。なぜ劇場の薄闇の中で、巨大なスクリーンいっぱいに、その麗々しい指輪はパンアップで現れるのか。盗まれるためですよ。登場人物が行動を起こす契機になるためですよ。それ以外に指輪の存在理由はない。女性のしなやかな指にはめられて、きらきらと輝くために指輪はスクリーン上に存在を許されたわけじゃない、指輪はそこから離れるために、趣味の悪い映画監督なんかに当たっちまえば、そのしなやかな指ごと切り取られて、おもいでの小箱なんかに指輪と一緒に仕舞われてしまう運命にだって、あるのかもしれない。なぜ指輪は盗まれるか。それは、盗まれるために、ですね。指輪は盗まれるために盗まれる。まあこんなことは今更確認するまでもなく自明のことですが。
 つまり指輪単体では存在することなどできない。それをきっかけにして登場人物がスクリーン上で行動を起こす「理由」になるために現れる。だからマクガフィンというものは、観客が、登場人物が行動を起こす「動機」として見合っているものだと感じさえすれば、それ自体はなんだって構わないんだ、とする意見もある。特別高価なものでなくてもね。しかしこれには別の意見もあって、その動機付けたるアイテムには、それでしかなければ人は行動を起こしたりはしないだろう、というような、非常な、魅力を保有していなければならない、なんていう人もいるみたいですね。ある一人の登場人物だけがその「マクガフィン」に魅力を抱いていて、それによって行動する、たとえば他人にはなんの興味もわかないただの石ころとかね、そういうのが、その登場人物だけにとってすれば非常に魅力的なんだ、だからそれによって映画的行動をとってしまう、それもマクガフィンだ、しかし一方ではその登場人物にも魅力的に映るし、もちろん観客であるわれわれにとってしてもバツグンに魅力を発揮する、そうでなければマクガフィン足る資格がない、などとね、高価なものになったり、金だったり、何らかの美だったり……人が映像上で行動を起こすきっかけになるための……
 ということで今回はマクガフィンのお話でした。面白いですね。恐ろしいですね。ヒッチコック勉強しましょうね。ではまた来週」


 つまり……
 俺などはマクガフィンに過ぎない。単なる動機づけに過ぎない。
 誰かには宝石のように映る、濃く生え揃った端正な眉をひそめて、彼は雪のちらつく川向うを眺めている。それだけで一幅の墨絵、一枚の絵画である彼は、絵である自己を眺めることはない。それは常に他者が眺めるものでしか通用せず、彼自身にその美しさなどは到底通用し得ない。
 それでどうなるというんだろう? 対当するものもない、対象もいない、あるのは燦然と輝く、あるいは他のものに置き換えることが容易な俺などというもの。
 登場するためには何らかのマクガフィンがいる、どんな些細なことがあっても、そこに存在する理由があるからこそ、その人物は、風景は、すべてのものはそこへ許され描写として描き出されるのではないか……
 必要があるからそこに居る。そこにある。すべてのものはそれに当てはめられて存在していると確認するまでもなく、「存在する」という完全な無意識の上でその存在が存在しているのだと証明し続けている。それであればこそ橋は存在する(誰かがその存在を欲したために橋が川の上に掛かっている)、誰かがその存在を欲したために雪が降っている、その雪を眺めている、眺めたいと誰かが欲しているために彼は雪を眺めている。その誰かとは彼であるかもしれないし彼でないかもしれない。橋は何故ここに掛かっているか? 雪は何故今ここで降っているか? 彼はどうして今ここでその橋の欄干に両腕をもたせて雪の降る冬の川を眺めているか? すべては誰かの思惑によって決められていたとしたらどうするか。誰かの契機になるだけのために、誰かの物語の動向を左右するだけのために、橋が掛かり、雪が振り、俺がこの景色を眺めていたとするのならどうか……。
 雪が降っている。それを橋の上から男が眺めている。ただそれだけのことだ。俺はただそれだけのことしかしていない。していないにもかかわらず、俺は必ず契機になる。それは俺が、他人にとってはとてもみりょくてきなマクガフィンだから。
 橋も契機になる。雪も契機になる。しかしそれは大多数の他人が納得できるような契機ではない。橋を原因にして殺人事件は起きない。雪を契機としても殺人事件は起きない。たとえ起こったとしてもそれは注釈付きで行われるだろう。なぜその他者は橋がここに掛かっていたからといって、雪が降っていたからと言って、殺人事件を犯したのか? それは、太陽が眩しかったから、と同じことだ。理由にはならないということで理由になる。しかし俺という美青年はそれだけで理由だ。俺のことを誰かが殺した。愛情のもつれから、所有の欲求から、美を永遠付けたかったから、その他様々な変態的な理由……。どんな理由にせよ他者はその殺人を納得してしまうだろう、「ああ、あんなに美青年であるのならば、それも仕方のないことだ」
 つまり俺の美などはその程度のものに過ぎない。ただ他人の行動を動機づけるための。くだらなく、つまらなく、所有しがいのない、やっかいで、めいわくで、必要のない、けれど他人にとっては喉から手が出るほど欲しいもの……
 ポケットの中の携帯電話が振動する。
 女の声。彼はそれを聞いている。「どうしたの? なんでなんにも返事くれないの」
「何回も電話したのに。どうして電話にも出てくれないの」「ねえ聞いてる? どういうこと? なんで何にも言わないの。意味分かんないからねえ聞いてるの」「何か言ってくれなくちゃ分からないよ。なにが不満なのか。黙ってるだけじゃわからない……そうじゃないの? 誰もがみんな、あなたの感情を読み取って、理解してくれるなんておもわないで。言ってもらえなくちゃわからない! なぜだまっているの? あたしのことが嫌いになった? 嫌いになったならその理由を言って。言ってくれないと、あたし……」
 陰鬱な美青年は、携帯電話を持っていた腕を橋の欄干にもたせた。薄い板の奥からキイキイと高い声が聞こえる。彼はそれを聞いている。それから彼は薄い板を持つ手に力を込めるのを止めた。携帯電話は放物線を描くこともなく、冬の冷たい川に落下した。「すみません」
 振り返ると、そこには色を多分に含んだ目をしてる二人組の女性が立っている。

「何してるかんじですか? 待ち合わせとか」
「……いいえ」
「えー」
 女性二人は見つめ合い、くすくすと笑う。「何してたんですか?」最初に話しかけてきた女性の、斜め後ろにいるもうひとりの女性が尋ねる。
「別に何も」
「えー」
「なんか。ごめんなさい。突然声かけたりして」
「…………」
「や、なんか。ねー」
「うん」
 女性が同意を求め、もうひとりが頷く。「さっきから。ずっと声掛けたくて。でもなかなか掛けられなくて。どうしようとかずっとふたりで悩んでたんですけど」
「寒くないですか? ずっとここにいて」
「…………」
 彼はちょっと口の端を曲げて笑った。すると女性二人も笑った。「や、ほんと。ナンパとかじゃないんですけど、なんだろう? ちょっとお話してみたくて」「私たちも結構悩んだんですけど。悩んだというか、悩んだっていうと違うのかもしれないけど」
彼は黙って女性二人を見ていた。彼は彼女たちから一刻も早く背を向けて、再び川の水面を眺めたかった。でもそんなことをしたら、背中にどんな罵倒語を吐きつけられるだろう? 彼にはその想像の未来が怖かった。でもこんなことも仕方がないことだ、ああすべてのことはすべてマクガフィンマクガフィンマクガフィン……。

 

 ところで自称画家の元美青年の男もやはり、昨夜の深夜放送でその映画を見た後に、その老人の映画解説を聞いていた。
「…………」
 彼はテレビのリモコンを押して、部屋の中を静かにさせた。そして汚い四畳半の万年床からおっくうそうに立ち上がって、青白い蛍光灯をぱちんとつけた。
彼は、カーテンの閉まったその下の壁に立てかけられている(というよりは無造作に置かれている)例の紫色の風呂敷包みのむすびめを解くと、中身を露出させ、それを壁に立て掛けて、じっと見つめた。
 つまり絵などは俺にとっては、単なるマクガフィンに過ぎない。
 自分の解釈が適当だとはおもえない。たぶん俺の「マクガフィン」たるものの解釈は間違っているだろう。たった今、聞いたばかりの言葉だし、たった二三分前に聞きかじった言葉の真の意味を確実に理解するなどという芸当は到底俺などには不可能だ。だけど彼は、その言葉が彼と全くの無関係ではなく、地続きの言葉であるというのを知っている。それは彼にとってすれば懐かしい言葉ですらあり得る。なぜならその言葉はきっと彼が長年探し求めていた言葉で、彼の名状しがたい今までに脈々と続いてきた生活という名状しがたいものに、スッと燐寸でも擦って、明かりをつけてくれたようにおもわれたから。つまり手探りで暗闇の中を歩き続けて、もはや疲れ切ってしまったところに、突然明かりがついた。それで全体がようやく見えるようになった。彼はそれを待っていた。その言葉を唐突に、深夜放送の小さなテレビの向こうで、ある老人が、彼に教えてくれた。それはマクガフィンだ。彼が絶えず求めていたのはそれだ。それは誰も、どんな他人も彼に与えてはくれないものだ。しかしそれも当然のこと、それは彼が求めなければ得られないものだ、というよりも求めなければ、存在すらしない。彼が求めなかったから、マクガフィンは彼の目のまえには現れなかった。そして彼が求めたからこそ、マクガフィンが彼のもとに現れ、それによって彼はそのもの自体を求めた、であるからこそ、彼は、絵などというつまらないものを描き始めてしまった、と。
 しかし……
マクガフィン』とは現れるものなのか? マクガフィンとは現れいづるものではない。ストーリーを動かすための目的となるものだ。例えば宝石とか、遺跡とか、現ナマとか、クラリスとかラナの持つ「情報」「美貌」「少女性の中に仄見える母性(笑)」とか。それは元々その世界に存在しているもので、わざわざ作り出されるようなものではない。存在しているものを欲する誰かがいて、それによってストーリーがスタート地点からゴールへ向かって前進運動を始める理由になるもの。だからマクガフィンなるものははじめから存在している。たいせつなのは、そのマクガフィン自体に、ただ存在しているだけのものに燐寸を擦って、ここに存在しているということを大勢の他者に示し、かつその物自体に絶対的な価値を置くことなのだ。求めるだけに足る理由を、価値を、目的を……。
 であるとするのならば、俺の絵にはやはり価値がある。誰にも必要とされないという価値。それは俺のみには価値があるということだ。俺にとってはそれは価値がある。だが、他人には価値がない。俺の身にはその価値観が足りていなかったのだ。ずっと欲しかった。俺だけのマクガフィン。誰も良いと言わない、若かった頃の俺を誰もが良いと言った。俺はとてもうつくしかったから。あれは、いいね。でもそんな価値はクソだ。そんなものは犬ではなくて政治家にでも食わせろ。俺はもっと良いものがほしい。誰も良いと言わないもの。でも俺は良いとおもうもの。これは考えてみるとちょっとむずかしい。誰もが良いと言うものを作るのは難しいが、かといって誰もが良いと言わないものを作るのも難しい。百人中百人が首を振るもの。そして俺だけが良いと言うもの。世の中には、それは沢山の人が居る、それぞれに好き好きのものがあり、アバタもエクボとか、蓼食う虫も好き好きとか、そういう言葉だってある。世間と違うボクを演出したいがために、あえて大多数と違う意見を口に出してそこに価値を置くやつだって、吐き気がするほど、掃いて捨てるほどいる。だから全員が悪いというものを作るのは難しい。でもそれが出来たら? そして本当に俺だけが良いと思う絵がかけたら。ああ、こんな……こんなマクガフィンはない! 俺はそれをしよう。俺の行動の、俺のストーリーの契機になるもの。俺はそれをずっと探していた、俺はそれを描くぞ、描くぞ、描くぞ。ああこれもきっとマクガフィンマクガフィンマクガフィン……??

 

 第三の男、そして彼もやはり、深夜放送を見ていた。明日も早いので、彼はテレビのスイッチを消すと、早々に寝床に横になって、ぱちんとナイトランプの明かりを消した。そして仰向けのまま天井を見上げ、次第に暗闇に慣れていく目を何度も瞬かせながら、こういうことを考えていた。
 つまり俺などは、マクガフィンを探すべきなのではないか?
 確かに俺は牛だ。でくのぼうだ。汗っかきで、みばえもそれほど良くなくて、安月給取りの、将来は孤独死間違いなしといったようなていたらくだ。しかし俺だって生きている。こうして生きているのに、このみじめな生活はどういうことだろう?
 どうせいつか人間などは死ぬのだから生きている現在に置いて貧富の差など問題ではない、とする向きもあるだろう。俺だってそうおもっている。そうおもっていたほうがいくらか楽になるから。でもそうじゃないだろう。人はやはり、どのような生を穢土に受けたとしても、その穢土で自身のマクガフィンを探し出すことに血道をあげるべきなのだ。きっとそうだ、そうに違いない……
 しかし、このような深夜の高揚感が翌日まで長続きすることはめったにない。そういうものはみんな深夜のラヴ・レターだ。彼はまだうまく開かない目をぐりぐり擦りながら、摩耗しくたびれきったはぶらしに歯磨き粉を絞り出し、口に突っ込んで動かしながら、過去の嫌な思い出をおもいだしている。
 中学二年生の春。忘れもしない、あの夜も昨日の夜みたいに、ローマンチックな、春や春、春南方のローマンスたる甘ったるい深夜放送の映画を見て、その雰囲気に酔ったまま、勉強机の蛍光灯の紐をひっぱって、一気呵成にレポート用紙になぐり書きで綴った、あの子への手紙。今地獄の釜のフタが開き、そのくらやみのなかから、誰かが彼を覗き込んでいる。深淵が彼を見つめる時また深淵は……
『僕のリーベ。
 今ここで言葉を紡ごうとする時、どんな言葉も陳腐になりそうになる。それは分かりきっていることだ。君という存在をめのまえにしてしまうのでは……
 君は天使だ、君はまるで天使だ、という言葉も、これは真実ではない。なぜなら僕は君ほどのものを一度だって見たことがないし、天使は君の顔に果たして相当するのか、などということはわからないことだから。だから僕は、きやすく君のことを天使などとは呼ばないよ。ひょっとしたら、悪魔だということもあるかもしれない。悪魔は君の顔によく似ている。そんな想像だって、可能なのかもしれないのだからね……
 君をなんと表現すれば良いのだろう?
 天使だ、悪魔だ、神だ、などと言い続けても、言葉は益々チープに、下劣に、下らなくなっていくばかりだ。そんな既成の概念によってあなたを称賛できるなどとはとうていおもえない。それならば僕はあなたに特別の、あなただけを称賛する言葉を、クリエイトしなければならないのではないか、と気付いた。であるということはつまり……』
 もちろん出しませんでしたよ。


 彼は二十六. 五センチの合皮靴を履いて会社へ。今日は冬枯れ、しかし小春日和、日差しがやさしく彼の体を包み、彼はまぶしく空を見上げる。
 別に晴れていても彼には関係がない。仕事をするには屋内に入らなければならない。今日もまた彼はあの狭いコンクリートの階段を上がって、つまらない絵のたくさん積まれた油臭い部屋の中で、外の天気とはまったく関係がなく時々茶を入れたり、上司の愚痴を聞いたり、行商に出掛けたり……つまらないと言えばつまらないかもしれないが退屈というには忙しすぎる。生きがいとか本来すべきこととか生まれてきた意味はとか本来ならば考えなければならないのかもしれない、それを昨夜の深夜放送は彼に諭そうとしていたのではなかろうか……と彼がおもったかおもわなかったかは知らないが、でも今の彼はめのまえにいる生活にくたびれきった白髪の上役の話に相槌を打つのに忙しく、そんなことを考えている暇もやっぱりない。「だいたいからなんで他人の絵なんか売らなきゃいけないわけ? こんなことする意味ってあんの? この前の絵なんてさあ、さいあく。号数ばっかりでかくて、べたべたごたごた塗り立ててさ。ロンドン行ってきたんだって。それで霧に咽ぶ路地だってさ。力作だって。長いことスランプだったけど新しい景色に開眼して筆が一気に進んだって。ああそうですか。でも出来たのはただの油くさくてばかでかい粗大ごみだよ。粗大ごみ作るために御大はるばる花の都のロンドンくんだりまで行ってご苦労なことです。そんでその粗大なものに粗大な値段を吹っかけて商売にするだなんてねえ、あなた。犯罪ですよ、これは。詐欺ですよ偽証ですよ価値詐称ですよ。こんな生活でメシ食ってちゃいけないよ。俺は辞めるからな。健康を損ねるからなこんな生活は。辞める辞める辞める」
 しかし、やはりこれもひとつのマクガフィンマクガフィンマクガフィン……?

 

おわり(2021.07.10-29)