橋本治

お前、お前、お前‼ 俺をそんな風に見やがって、の俺と、あなたにそんな風に見てもらえて嬉しい、の自己像から脱するための危険な領域:橋本治『武器よ さらば』感想

※いつも以上に憶測と「個人の間違った解釈」で貫き通されている内容なので、話半分で読んでください。だけど読者として現段階で感じたことを残しておこうとおもったので、書きました。 私は読者である。そして、たった一冊の本のまえで、読者というのはたっ…

美しいものは単純で簡単だ:橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(2002)感想

今回はかなり短いぞぉ!(文字数が) というわけでタイトルに則って短くいくが、そのまえに橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(2002)の概要ね。 人はなぜ、「美しい」ということがわかるのだろうか?自然を見て、人の立ち居振舞いを見て、それをな…

酔っ払いと哲学と武士は食わねど……:『革命的半ズボン主義宣言』(新装版)感想

私はこの『革命的半ズボン主義宣言』の河出文庫版を所持していない。ために、以下に書かれる内容は、すべて1991年に河出文庫から出したものを“わざわざ”今再び単行本化しなおすという過程を経て2024年12月20日に初版が発行されたところの新装版を元にして感…

欲望は誰の心に宿るか:『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』前編 第Ⅱ章 眠りの中へ…――萩尾望都論 感想

”萩尾望都”という現象に出会う前、私はずっと、ぼーっとしていた。 漫画を読んでぼんやりとし、本を読んでぼんやりしていた。人と話しながらぼんやりして、テレビやアニメをじーっと見つめながら、それでもずっとぼんやりしていた。 意識はぼんやり、――茫漠…

「悪女」は誰のために存在したか:『エヴァの匂い』(1962)におけるふたつの評論に対する感想

私は今、笑っていないが笑っている。拍手喝采をしていないが、拍手喝采をしている。それはどういうことかというと、顔で笑って腹で泣くというのとも違って、つまり、呆れているのである。では、どのようなことで呆れているかというと、ある時代の、あるイン…

はっぴいえんどのなかに取り残された男の子の目の前には、ノックするドアもない――付、バナナブレッドのプディングのレシピ:『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』後編 第Ⅸ章 ハッピィエンドの女王――大島弓子論感想

本の感想を書こうとおもっているのに、泣いていて話にならない。 私は橋本治の書いたこの“大島弓子論”を、多分、都合二回読んだ。もしかしたら記憶にないだけで読んだのは今回で三回目かもしれない。そして三回目に当該文章を読んだら、泣けて泣けて仕方がな…

ありのままのキミが好きだよと言われたい女の子と、そんなバカな女の子のところになんで行ってしまうんだよッな男の子:『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』後編 第Ⅵ章 優しいポルノグラフィー――陸奥A子論に対する文句

「わたし」は、今、ちょっと怒っている。 なんで怒っているかというと、好きな人に、好きなものを否定されている(あるいは否定されたと勘違いしている)ためである。「わたし」は、「わたし」が「好きだ」とおもっている人と、「好きなもの」が同じだったら…

運命の女の子に「あなただけがぜったいに正しいわ」と言われたら、男の子は永遠に「正解」で居られる:『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』後編 第Ⅷ章 全肯定としての笑い――吾妻ひでお論感想

注:世の中の政治的な側面(?)に触れる箇所があります。特定の政治信条があってそれが譲れない場合や「お国のやっていることはすべて正しいんだ」と”信じている”人、「趣味と政治は分けて語ってほしい」とおもうひとは読まないでください 急いでいる(?)の…

せっかく俺のために焼いてくれたのなら、色鮮やかなうちに俺に抱かれてしまえヨ。☜ヤだねな橋本治とツァラトゥストラ的なもの:『蓮と刀』”書評”

第一章 使用上の注意をよくお読み下さい 本文の成立について まず、個人的な状況からはじめたい。 僕は過去、「マンガ読み」だった(いまは全然読めてないのでマンガ読みからは落第した)。 そして僕は現在「小説読み」であり「映画好き」である。そういう僕…

やっと読めたぞ橋本さんのポエティック・センチメンタル:詩集『大戦序曲』感想

すべてを言い尽くさなければ気が済まない橋本さんに、ポエムは作れない。 以上。 以下蛇足(またこのパターンか? という話ではあるが大体からして「詩」に対する感想などという存在そのものが「野暮」の極みであって、「詩」というものは他者がそれを読むの…

 俺のことを捨てるからそういうことになるんだよ。フン、バカ♡な橋本治と沖雅也とちょっとだけ大島弓子な「ニルヴァーナはまだか?」:『とうに涅槃を過ぎて』感想

注意 これ以下の文章は多分な誇大解釈や個人的意見がふくまれています。そして以下の文章はそれらの文章を「正しさ」として提示するわけではなく「こんなふうにも読めた」というひとつの読み方の種類を提示する以外の何ものでもありません。また、故人につい…

他人のラブレターへの返信を読んでもいいのか? 問題とどーしてもプライベートをパブリックにしてしまう橋本治:『'89』感想

おもえば(いや、陳者……)、天下の聖子・松田が一番ノッてない曲は何であったか。「なんか怠そうに歌ってるなあ(※個人の感想です)」という感想を抱くのはこれまた天下のイーチ・オータキ大先生書くところの『四月のラブレター』ではないか? とおもう。も…

『橋本治と内田樹』という並びよりも、『橋本治と新井素子』の方がイコールで結びやすいと思う理由:『流水桃花抄(橋本治掌篇短編集)』の「あとがき」感想②

前回の続き。 「他人を書く」ということについて苦労していた人、といえば、最近岩波文庫に入ったでおなじみの、安岡章太郎である、と。正確に言えば、安岡章太郎に代表される、ある時代より連綿と続くある一部の日本の男性作家たちであった、と。 他人とい…

『橋本治と内田樹』という並びよりも、『橋本治と新井素子』の方がイコールで結びやすいと思う理由:『流水桃花抄(橋本治掌篇短編集)』の「あとがき」感想①

えー、今、橋本さんの『流水桃花抄(橋本治掌篇短編集)』(1991)を読もうとしているところなんですが、その前に、この本の「あとがき」を読んで「この人はなんて”新井素子”なんだろう」とおもったので、それを書きます(ということで本編はまだ読んでませ…

だからどうした?:『風雅の虎の巻』感想 

「必要と非実用は対立しない」という考え方は”実用”と”非実用”を対立させる考えの上にあるものですが、どうしてこれが消滅してしまったのか――だから平気で「分かりにくい」などという言葉が上がるのかというと、実用と非実用を対立させて考える側のものが”非…

”思い通りにいかないコトはぜんぶ認めねーぞ、俺ァ”、または妄想としての現在、そして花井薫クンである(庄司薫クンではない)橋本治の『わかって下さいお月様』:『熱血シュークリーム』感想

さて、ハシモトはなぜ分かりにくいのかの問題である。 ダラダラと書きつけてみてもいいけど面倒くさいので結論。「おまえなんかに分かられたくない」から。 終わり。 結論以下は蛇足。もちろんこれを書いている人も「おまえなんかに分かられたくない」のうち…

他者から見たイデア:『対談の七人』感想

爆笑問題。 今回は、橋本治とそれから、ある一定の時期までの、爆笑問題についてのお話です。が。 今日の爆笑問題について、何かを云々するというのは難しい(というよりどう見ていいか困ってしまう)。しかし、1998年の彼らというのは、語るに値した、ある…

みんなで踊りたい橋本と、踊らない人々:『ロバート本』感想②

”ひつっこい”ようだが、橋本はどちらかというと炎上したくても出来ない人である。他人から”してもらえない人”である。であるからして、「いいけど別に」とか、「どうでもいいけど」とかいった文言を、文章の語尾によく付けてふてくされている。彼が、「俺が…

自分を愛するあまり攻撃的になってしまう人について:『ロバート本』感想①

『ロバート本』(1986、文庫では1991)を読んでいる。橋本の本の中でも自由度が高くまるで高級な便所の落書きかどこかのブログの個人的な記事を延々と読まされているかのような読み心地がある。読書としては面白く、橋本の内省するようにその内容は殆ど『近…

『虹のヲルゴオル』感想

『虹のヲルゴオル』は、大女優の「どうして誰も私のことを分かってくれないの?」のジレンマ、虚像と実像の隔たりを「〇〇って〇〇なんだよね。そうでしょ?」ってハシモトが言い続ける本で、大女優ってのはそういうアンビバレンツ(?)のもとに輝く光であ…

『橋本治と内田樹』感想

ハシモトの「書くことでしか得られない充足とくるしみとそれに伴う自転車操業」って氏が氏自身と○○○できないっていうくるしみを根本とするものだとおもうよという暴言からこの感想文は始まるが、それにしても「橋本は論じられない」とはどういうことなのか。…